父が父でなくなっている。家族を統合し、理念を掲げ、文化を伝え、社会のルールを教えるという父の役割が消えかけている。( 41) 、家族はバラバラになって、善悪の感覚のない人間が成長し、全体的視点のない人間や無気力な人間が増えている。
父としての役割は立派な父でないと果たすことができない。立派でない父が家族を統合しようとし、理念を掲げても、家族から無視されるだけである。立派な父が必要とされているのに、その立派な父が育ちにくいのが現代社会である。そもそも「立派」などというものが流行らない世の中なのだ。全体の将来を考えてリーダーシップをとり、取りまとめ、ルールを教えるという「立派な」人格は、尊敬の対象にはなりにくい。あまり立派でない、むしろだらしのないくらいの父親のほうが (42) 。
父でなくなった父の典型が「友たちのような父親」である。彼らは上下の関係を意識的に捨ててしまった。価値観を押しつけることは絶対にしない。何をするのも自由放任である。しかし (43) は「自由な意志」を持つようにはなるが、「よい意志」を持つようにはならない。
「友だちのような父親」はじつは (44) 。父とは子どもに文化を伝える者である。伝えるとはある意味では価値観を押しつけることである。上下の関係があり、権威を持っていて初めてそれができる。しかし (45) の関係では、文化を伝えることも、生活規則、社会規範を教えることもできない。「もの分かりのいい父親」は父の役割を果たすことのできなくなった父と言うべきである。
(林道義『父性の復権』による)