(2)
 これはビジネス文章に限ったことではないのだが、何であれ文章を書いていると、少しばかり緊履感を覚えるものだ。 書きながら、頭の中でこんなことを考えている。
 この書き方でいいのかな。
 これ、ひピく下手な書き方じゃないだろうか。
 これでわかるかな。
 そういう入がしきり(注1)にして、ちょっとしたプレッシャーになっている。 だからこそ、文章を書くのは苦手だ、と思っている人もいるのじゃないだろうか。
 しかし、その逆もまた真である。文章を書く面白さとは、そういうプレッシャーを感じな訳ら、何とか諸問題をクリアして、一応のものを書き上げることにあるのだ。
 テレビゲームが楽しいのと同じ理屈(注2)である。あれば、攻略(注3)するのな義にまざまな障害をかわしながら(注4)、次々に問題をか解決していって、何とかクリアしていくところが面白いのである。難しいからこそ、うまくやった時に楽しいのだ。
 文章を書くのも、①そういうことである。これでいいのかな、と一抹の(注5)不安を下な天ら、何
とか書いていくってことを楽しまなければならない。
 別の計い方をすると、文章というものは、書く人に対して、うまく書いてくれ、と要求してくるのである。なぜなら、 文章とは人と人とのコミュニケーションの道具だからだ。
 この例外は、自分だけにわからばいいメモと、絶対に他人に見ない日記だけである。
 それ以外の文章は、必ず、書く人間のほかに、②読む人間がいて完成されるのだ。そして、書いた人の伝えたかったことが、読んだ人にちゃんと分ってこそ、文章を果たしたことになる。

(清光克「ズラ有ョ縛穫ける「ビジネス文章」による」)


(注|) しきりに:何度も
(注2) 理届:ここでは、考え方
(注3) 攻略する:うまく解決する
(注4) かわしながら: 避けながら
(注5) 一抹の : ほんの少しの

1。 (63)筆者は、文宇を書くときに何がプレッシャーになっていると述べているか。

2。 (64) ①そういうことであるとはどういうことか。

3。 (65) ②読む人間がいて完成されるとはどういうことか。