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 仏教の教えの中に、自分自身の根拠の発見というものがある。しかし、自分の存在を現世(注1)的なものの中から見つけるのは非常に難しい。現世に生きながら、現世に自分自身の根拠がないことについては誰もが無意識のうちに不安を覚えるであろう。それは捉えようのないものであり、非常に愁傷的(注2)で、漠然としたものである。それらを科学的に解明するにも無理があるだろう。現世における自我の存在は、自身の意志とは全く無関係なところから始まっているのた。
 現実に見えないことを求めていくことは勇気のいる決心であるし、到達しがたい境地(注3)である。 仏教にある「無才] というのはその境地を指す言葉であろ う。しかし、結果的に自分の根拠が現世にないという 不安定な自教を支えるために倍爺が厚くなることも事実である。
(注1) 現世 : 現在の世の中
(注2) 間補的 :電しさや用しゃを持った
(注3) 境地 : 最終的な到達目様てある心の状態

1。 【問】 「非常に難しい」とあるが、どうしてか。