(2)私たちは、普段どのような場面で議論をするでしょうか? 家庭内で夫婦が子供をどこの幼稚園に入れるかについて議論する、会社において上司と部下が部署の方針について議論する、友人同士で同窓会の企画(注1)について議論する・・・・など、日常生活では、あらゆる場面で議論が行われます。
ただ、議論としていると、自説を主張することだけに注意がいきがちになり、「何のために議論をしているのか」を忘れてしまうことが往々にして(注2)あります。
子供をどの幼稚園に入れるかについて議論しているときに、妻が、「何よ、あんたなんかあの子の面倒をぜんぜん見てないじゃないの!こういうときだけ偉そうに言わないで!」
などと攻撃を始めると、夫のほうも、「何だと!誰のおかげでメシが食えてると思ってるんだ!」と応戦します。
これでは、 ①本来のテーマを離れ、醜い争いになってしまいます。(中略)
「子供をどこの幼稚園に入れるか」という議論の目的は、どこの幼稚園に入れたら教育上最も望ましいか、を決めることです。
この一点にたどり着くために、夫は自分の意見が正しいと信じて議論をし、妻は自分の意見が子供のためになると思って議論をします。
会社において、部署の方針を議論するときも、どのような方針を打ち出せばいい結果が出せるのかについて、お互いの頭脳を結集し、その「着地点」を目指すわけです。 ②友人同士の議論も同じです。
(注1) 企画:会を行うための計画
(注2)往々にして:しばしばそうなるということ