行列にもいろいろある。そして、行列は、私たちの生活に必要なものでもあり、重宝なものでもある。電車の切符を買うとき、スーパーのレジで、銀行のカードで金の出し入れをする自動の機械、あれは何と言うのだろうか、あの機械を使うとき、タクシー乗場やバスの停留所で、私たちは行列するが、あれは私たちの社会生活のルールであり、当然である。
けれども、回転ずしの空席待ちの行列などには、他ではいけないの、と言いたくなる。
食べ物屋には、よく行列ができる。うまい店だからであろう。だが、そういう行列を見ると私は、他にもうまい店は、たくさんあるのに、と思い、①
ズレを感じる。
そう言えば、以前、青山五丁目の小さなパン屋に、何日間ぐらいだっただろうか、パンを買う人の長い行列ができたことがあった。
パンが焼き上がる時刻が近づくと、数十メートルの行列ができる。親に、学校の帰りに買って来い、と言われたのであろう、ランドセルを背負った子供も並んでいた。
ところが、その行列は、間もなく消滅した。( ② )。行列がなくなってから、私はためしにその店のパンを買って食ってみたが、うまいパンであった。だが、他の店のパンもうまい。行列してまで手に入れなければならないほどのものとは思われなかった。あのような、瞬間的流行のような行列もある。
(古山高麗雄「行列」1999年5月11日『日本経済新聞』による)