威張るのはよくないと思っている人が多い。しかし、威張るとは自分の役割に忠実になることである。そして役割に忠実になるとは、自分の権限と責任を自覚し、それを打ち出す勇気をもつということである。
たとえばスチュワーデスが「お客さま、お煙草はサインが消えるまでお待ちいただけないでしょうか」というのは自分の責任に忠実な瞬間である。出すぎたことでもないし、生意気をいっているわけでもない。教授が学生に「レポートは事務室に提出のこと。拙宅に郵送しても採点しない」というのは教師の①
権限を発揮しているわけで、権威主義とか押しつけというわけではない。
自分の役割を明確に打ち出さないから後で後悔したり、人に無視されたり、なめられたりするのである。組織とは役割の東である。各自が自分の役割に忠実になるから組織はスムーズに動くのである。②
遠慮は無用とはこのことである。
ところが給料は役割に払われていることの自党が足りない人がいる。いつもニコニコして人の和を保っている好人物であるという理由で給料をもらっているわけではない。権限と責任を発揮するという契約を果たすからこそ給料をもらっている。つまり給料をもらうには気合がかかっている必要がある。これを私は威張ることをためらうことなかれと少し極端に表現してみたのである。
(目分康孝『幸せをつかむ心理学』PHP文庫による)