音声言語の発達によて、人間の社会はゆるぎない(注1)ものとなったといた。しかしこれは、人間の社会をゆるぎないものにするために、音声言語が発達したという意味ではない。社会は結果であり、目的ではなかった。
 一般に動物の構造や機能は、まことによく環境に適応しているとおもわれる点もあるが、逆に、どうしてこんな変なことになっているのだろうかと、ふしぎにおもわれる点もたくさんある。動物というものは、目的論的にすべて説明できるわけではない。人間についてもおなじことがいえる。それはただ、ながい進化の歴史的結果であるというだけのことである。はるかな過去からの遺産をうけついで、そのうえに多少の変化をかさねつつ、現在が存在するのである。
 感覚器官、脳神経系(注2)の発達にしても、①おなじかんがえかたができるであろう。これはなんらかの目的があってのことではない。人間は、かしこくなりたいと努力したために、脳がおおきくなったのではない。脳がおおきくなったために、かしこくなったのである。なにが原因で脳がおおきくなったのか。その点については確定的なことはいえない。

(梅棹忠夫「情報の文明学」中央公論新社)

(注1)ゆるぎない:安定している
(注2)脳神経系:情報を頭(脳)に伝えたり、脳から体に伝えたりする系統

1。 (1)①おなじかんがえかたができるの意味として、最も適切なものはどれか。