以前、「〇Xモードの言語中枢」と題した文章を書いたことがある。こ日本人が欧米人に較べて、情報を非論理的に羅列する傾向が強いこと。同時通訳をしていると、スピーカーの①脳のモード差がモロに体感できること。それは、学校教育において、欧米では口頭試間と論文という能動的な知識の試し方を多用するのに対して、日本では〇X式と選択式という受け身の知識の試し方が圧倒的に多いせいではないか、という愚見ぐけん)(注1)を披露した。(中略)
 先ほど、同時通訳をしていると、スピーカーの脳のモード差がモロに体感できると述べたが、それは切実極まる問題だからだ。通訳者は、スピーカーの発言を訳し終えるまでは記憶していなければならない。ところが、論理的な文章はかなり嵩張かさば)った(注2)としてもスルスルと容易に覚えられるのに、羅列的な文章には記憶力が拒絶反応を起こすのだ。
 要するに、論理性は、記憶の負担を軽減する役割を果たしているわけで、文字依存度が高い日本人に較べて、それが低い西欧人の言語中枢の方が論理的にならざるを得ないのではないだろうか。

(米原万里「心臓に毛が生えている理由」角川学芸出版)

(注1)愚見ぐけん):自分の意見(謙譲語として使われる)
(注2)嵩張かさば)った:量が多い

1。 (1)①脳のモード差とは何を指すか。