愛情には、相手を尊重し、相手に不快感を与えたくないといった気持ちが含まれているだろう。けれども、相手を束縛せずにはいられない側面をも特つ。「あなたを愛しているからこそ、あなたにはこのようにしてほしい」「大切なあなただからこそ、こんなことはしないでほしい」といった気持ちが生じてくるのは当然であり、そうでなかったら愛情とは呼べまい。つまり相手に関心があり好意があればあるほど、無意識のうちにその相手をコントロールしたくなる。人の心にはそのような宿命がある。さらに、他人にコントロールされることは押し付け・強制・
無理強い・束縛といった具合にマイナスイメージで想像してしまいがちだが、必ずしも不快で窮屈だとは限らない。もしもわたしが本気で陶芸家
(注1)にでもなりたいと考え、尊敬する作家のところへ
弟子入りした、
(注2)とししようする。わたしは
師匠に指導を受けることのみならず、あれこれ命じられたり無理難題を言わ罵声を浴びせられることにすら充実感と喜びを覚えるのではないだろうか。尊敬する師匠にロールされることが、ひたすら嬉しく感じられそうに思える。おそらくアスリートとコーチ係にも似たところがありそうな気がするし、監督と俳優との間にも①
そんな図式が成立するあるかもしれない。
(春日武彦「精神科医は腹の底で何を考えているか」幻冬舎)
(注1)岡芸家:茶わんや皿を作る芸術家
(注2) ~へ
弟子入りする: ~を
師匠(指導者)にして、教えてもらう関係になる