ポール・セローのある小説の中で、アフリカにやって来たアメリカ人の女の子が、なぜ自分が世界のあちこちをまわりつづけることになったかについて語るシーンがあった。ずっと昔に読んだ本なので、
台詞の細かいところまでは正確には覚えていないので、まちがっていたらごめんなさい。でもだいたいこんな内容だったと思う。「本で何かを読む、写真で何かを見る、何かの話を聞く。でも私は自分で実際にそこに行ってみないと納得できないし、落ち着かないのよ。たとえば自分のしかい手でギリシャのアクロポリスの柱を触ってみないわけにはいかないし、自分の足を
死海の水につけてみないわけにはいかないの」。彼女はアクロポリスの柱を触るためにギリシャに行き、死海の水に足をつけるためにイスラエルに行く。そして彼女はそれをやめることができなくなってしまうのだ。エジプトに行ってピラミッドに上り、インドに行ってガンジスを下り・・・・・、そんなことしてても無意味だし、キリないじゃないかとあなたは言うかもしれない。でも様々な表層的理由づけをひとつひとっ取り払ってしまえば、結局のところ①
それが旅行というものが持つおそらくはいちばんまっとうな動機であり、存在理由であるだろうと僕は思う。
(村上春樹「辺境・近境ょ新潮社)