「くつろぐ」というのは、その語感といい、平仮名で書いたときののびやかさといい、私の好きな言葉の一つである。もちろん、くつろぐ状態そのものも、大好き。
そして、私がいちばん手っとり早くくつろげるのは、一時間ほどで行ける
箱根の温泉へ浸ることであった。
常宿にしているPホテルで、緑濃い風景を眺め、湯にのびのびと手足をのばせば、日ごろはりつとめていたものが、一気にゆるむというか、
融けて、流れて、去って行く。
ところが、この一年、それができなくなった。
箱根へは、いつも家内と一緒に出かけていたのが
仇になって
(注1)目に入ったとたん、ホテルの建物が物を言う。
ドアも、ロビーも、エレベーターも、廊下も、もちろん、いつもの部屋も。
そのドアも、テープルも、ソファーも、すべてが語り出す。家内のことを、その家内が居なくなったことを。
(城山三郎「この命、何をあくせく」講談社)
(注1)
仇になる:かえって悪い結果になる