いつの頃からかおふくろの味、という言葉をたぶん世の男性たちが作り、その郷愁にこたえてそういう店もでき、もの珍しさに女の私も幾度かのぞいてみると、何のことはない里芋とこんにゃく、ひじきと油揚げの煮付け、ナッパのおひたしなどのことなのである。
要するにこれは昔のごく常識的な
惣菜(注1)であって、何も母親に限らず隣りのおばさんでもうちの
下女でも手軽に作り、また町のおかず屋にでも並べられていたしろもので、今だってちょいと
一言女房に頼めば家でもすぐ食べられる料理のことではないか。
ただ、見た目は同じであっても、私にいわせて
貰えば今のこれらの料理の素材は、郷愁のなかの昔の味とは似て非なるもの、というべく、第一野菜の味からして全く別物なのである。戦前はどこおいの家でも野菜をたくさん食べたし、需要とともに味の注文も多ければ、農家も美味しい野菜作りに情熱を込めたものだった。(中略)
ところで、男性がおふくろの味にあこがれる原因に、主婦の家事の手抜きと子供中心の
献立がいわれるが、私もその手抜き主婦の一人としていわせて頂くと、味覚というのは
甚だ流動的かつ身勝手なものとはいえないだろうか。つまり生活全般、現代と密着している人間のロに合うものといえばしよせん現代の味覚であって、今はもうないものねだりともいえる昔の味ではないのである。
おふくろの味ムードに付き合って、漂白
(注2)のため皮が固くなり味を失った里芋を、全国画一のだしの
素を使って煮ころがしてみたところで
味気なさを
噛みしめるばかり。
(宮尾登美子「もうーつの出会い」新潮社)
(注1)
惣菜:おかず
(注2)漂白:日や水に当てたり、薬品を使ったりして白くすること