今はどうか知りませんが、旧ソ連では、絵描きであることが尊ばれたそうです。ただし、体制的でないといけませんが・・・・・。ともかく「あの人は芸術家だから」とか「あの人はバレリーナだから、配給より少しよけいに食べさせてやらないとかわいそうだ」ということがあったといいます。ニューヨークでも、アーチストのためのマンションというのがあります。職業はみんな平等なのに、アーチストと名のつく仕事についている人は優遇されて
(注1)安く住むところが用意されているのだそうです。
日本では、優遇どころか、たとえば義務教育の教科の中から、美術の時間は無くなるか、もしくは減らされています。国策として科学的発見を願う時代に、「美」などは
迂遠な
(注2)ことのように思われ、直接コンピューターの教育を徹底すれば足りる、と考えられているようですが、わたしにはそう思えません。科学的にも、芸術的にも「美しいものを創造しよう」とする感性と
執拗な努力が両輪となって、新しい境地を開くのです。
(安野光雅「絵のある人生岩波書店)
(注1)優遇する:ほかの人よりも良い待遇をする
(注2)
迂遠な:すぐには役に立たない