<Aの意見>
電車に座っていて一番困るのは、自分の前に立っている人が「お年寄り」なのかどうか判断に迷うときだ。以前、前に立った女性に席を譲ろうと声をかけたら、「私はそんな年寄りじゃありません」と怒られたことがある。観切のつもりが断られ、しかも怒られてしまい、人に観切にするのは難しいものだと、つくづく思った。よく新間で席を譲らないのことが非難されているが、彼らの中には私と同じように速ったあげく、老人扱いしない方が相手を傷つけないと判断した人がいるかもしれない。しかし、先日この話を友人にしたところ、「席を訳らない観切」は本当の観切ではなく、ただ自分が不愉快な思いをしないための言い訳じゃないかとはわれた。そう言われてみると、確かに私は、相手を老人扱いして傷つけるのを避けているのではなく、観切にしたつもりが相手に迷惑がられることを恐れていたのかもしれないく。
 <Bの意見>
 席を譲らない若者が目をつという声がしばしば聞かれる。その多くが、今の日本の社会には礼儀や道徳心がすたれてしまったといている。しかし一方で、若者の多くがお年寄りに席を譲ろうとして断られた経験が少なからずあるという。間題は、若者の礼儀や道徳心の欠如というより、他者と関わろうとする意欲の低下ではないだろうか。初対面の相手が何を望んでいるかを察するのは難しい。自分は観切のつもりでしたことなのに、相手の意に沿わないということもあるだろう。しかし、わずらわしい思いをしたくないと思うあまり、他社との関わりをもつことを避けてしまうのはよくない。「断られてもいい」と思って、家族や友人に向けるような親切を他者にも広げていけばいい。そうしないと、この社会の空気は、乾いた温かみのないものになってしまう。席を譲ることは小さな行為だが、勇気をもって他社との関係を築く一歩(いっぽ)になるものだと思う。

1。 (1)AとBの両方が触れている内容はどれか。

2。 (2)お年寄りに席を譲ることについて、Aの筆者とBの筆者はどのような立場をとっているか。

3。 (3)AとBは、それぞれ何を間題としているか。