もともと
畳の上で生活していた日本人は、イス座の生活様式が導入されても、再び下へ降りていく傾向がある。
あるとき、立川駅で驚くべき光景を目にした。駅のホームのはじで、女子高生たちが征服を着たまま、
車座(注1)になって座り込んでいたのである。幸い、まわりの人に迷惑をかける場所ではなかった,汚くないのだろうかとびっくりしてしまった。 やはり日本人は、坐の文化が好きなのかと、思わず徴笑してしまった。
それは極端にしても、イスの上でいかに坐るかも重要だが、そのような私たち日本人に親しい生活習慣を肯定し、並立させることも大事ではないだろうか。
幕末頃
(注2)の文章を読んでいると、話をするとき、二人が寝ころがって話すというシーンによく出会う。
西郷隆盛(注3)は、ゆっくり話そうと言って奥の座敷に忱を二つ並べたという。
山内容堂(注4)も、
勝海舟(注5)に寝ころぶことを勧めた。日本人は,とりわけ,寝ころがることを好む。放っておけばユカに寝ころがってしまうし、ソファの上でも寝ころがるし、テレビを見ていても寝ころがる。
寝ころがる姿勢は、どうしても①
娯楽的な姿勢ととらえられがちだ。生産的な行為とは対極にあると考えられがちである。だが、日本人はもともと寝ころがりたい人たちなのだから、寝ころがる人生を積極的に生活のなかに取り入れていきたい。
たとえば本などは、机に向かって読むより、むしろ寝ころがって読むほうがずっと楽なのは誰もが経験して知っているだろう,私の場合も本を読む場合、寝ころがって読んでいる時間がかなり長い。ソファに完全に
仰向けいになってしまうとつらいから、コーナーのところにクッションなどを置いて、上半身を軽く起こしながら本を読む。そうしている人は多いだろう。
寝ころがるときのもうひとつの姿勢は、うつぶせ
(注7)がある。ただ、完全にうつぶせになっても、とても本は読みにくい。ひじで上半身を持ち上げても、ひじで体を支え続けるのはつらい。そういう場合は、枕やクッションをお服や胸の下に置くと。快適に読書できる。頭と本の間に距離がでさるから、三色ポールペンで本に線を引くことも可能になる。
机の前に生るのは、文字を書いたりパソコンを打ったりするなど、集中が必要で何か生産をしなくてはけない場面だ。喫茶店などの机も、そういう作業に向いている。しかし読む行為は、寝ころがってもできる。あるいはテレビやビデオを観るのも、寝ころがっていたほうが楽だ。そのような情報収集には、長時間その姿勢に耐えられる、寝ころがりがとても向いている。
寝ころがることは頭をゆるませることだという。②
思い込みから解放されたい。寝ころがっているときにも、頭は活性化させていてよい。体が楽なのだから、持続もしやすくなる。
(齋藤孝「坐る力」文秋)
(注1)
車座:大勢の人が輪になって座ること
(注2)
幕末:江戸時代の未期
(注3)(注4)(注5)、」
西郷隆盛・
山内容堂・
勝海舟:
幕末期に活躍した人物
(注6)
仰向け:類や体を上に向けてる姿勢
(注7)うつぶせ:傾や体を下に向けて寝る姿勢