最近、日本ではテレビや書籍で脳科学者がブームになりました。脳科学が一般の人々の関心を強く惹いた最大の理由は、脳科学によって自分がよりよい人生を歩めそうだと感じるからではないでしょうか。
科学は事物を客観的に扱う三人称的な学問です。そのため、何か冷たく、自分とは関係のないようなよそよそしさ(注1)を感じてしまいます。ところが、脳科学は人間の感情や思考や行動に関わる科学 です。そのため、科学としては初めてのことですが、まるで文学や芸術のように一人称(注2) 世界に踏 み込んできて、幸せな人生のノウハウを提供してくれているように思えるのです。
しかし、せっかく関心を持っている人に水を差す(注3)つもりはないのですが、脳科学が今よりずっ と進歩したとしても、人間の心や私たちの人生について、すみずみまで解き明かせるようになるわけで はないと肝に銘じて(注4) おいた方がよいと思います。脳は複雑で、まだまだわからないことが多く、普通的な法則に到達するまでの道のりはきわめて遠いのです。そして、たとえ到達できたとしても、科学の普通法則は人生の個別性や一回(注55)に対しては全く無力です。ゆえに、人生の個別の事柄に適用して何かを予言したりすることは、おそらく不可能でしょう。
もう一つ大切なのは、科学は事実を扱うことはできますが、価値観の問題を扱うことはできないということです。ですから、脳科学によってある事実が判明したとしても、それを価値観と混同してはいけません。たとえば、ある脳科学の本に、「こうすれば脳を活性化できるので、みなさんもやってみましょう」と書いてあったとします。ですが、脳の活性化は絶対的な価値でしょうか。極端な例で考えてみましょう。副作用の全くない薬物だったとしても、薬物で健康な人間(たとえば受験生)の脳を活性化することは許されるでしょうか。これが許されるかどうかは、論理や価値観に属する話です。価値観は個人と社会が決めるものです。そして、個人の価値と社会の価値も同じとは限りません。脳科学の知見(注6)は事実を記述したものであって、価値とは何の関係もないのです。
(中略)
人類がどのような未来を選ぶかという問題も、結局のところ価値観の問題です。科学は、選んだ未 来を実現するための道具にはあり得ますが、未来を選ぶ価値観の問題を扱うことはできません。
(注1) よそよそしい 無関係である
(注2)一人称: 書き手が自分自身をさす
(注3) 水を差す: わきから邪魔をする
(注4) 肝に銘じる: 心に強くきざみつけて忘れない
(注5) 一回性 一回起こるだけ
(注6) 知見: 見解、見識