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教育を仕事にしていると、面白いことがたくさんある。その中の一つに、「未熟さの効用」とでも 言うべき現象がある。 知識や教育技術がたとえ未熟であったとしても、不思議と初めて受け持っ た授業が生徒との間に一番濃い縁を結ぶことがよくある。
通常の仕事は、経験を積み、技術が上がるほど、質が良くなる。教育の世界でも、もちろん経験知は有効に働く。 ベテランの安定感は、たしかに大切だ。しかし、教育の場合は、若く未熟であ ることがむしろプラスに働くケースがよくあるのも事実だ。 初年度に受け持った学生たちのことが鮮明に記憶に残り、その後のつき合いも深い、という経験が私にもある。
これはどういうことだろうか。 まず考えられるのは、初年度の緊張感が、学生たちに新鮮な印象 を与えたということだ。慣れてくると手際が良くなる。すると、学生たちは、 安心する一方で油断が 出る。 レストランで手際のいいコックに料理を出してもらうような気分で、授業を受け始めてしまう のだ。授業を上手にサービスする側と、サービスされる側に、立場がはっきり分かれてしまう。先 生はいかにも先生らしく、生徒はいかにも生徒らしい。
こうした関係は、安定はしているが、 ときに新鮮さに欠ける。 これに対して、初年度の教師が持つ緊張感は、生徒にも伝染する。その緊張感の共有が、一つの同じ場を作り上げているのだという意識を生みだす。参加し作り上げる感覚が、生徒の方にも生まれる。それが思い出の濃さにもつながる。
ここで初年度というのは、教師になって初めての年度というだけではない。学校を替わって、教師が新たな気持ちで臨むときも新鮮さが出る。 あるいは新しい教科を担当し、一生懸命勉強して多少の不安を持ちながらも勢いをつけて切り抜けていくときにも、印象深い授業ができやすい。 ただ単に未熟であることがいいわけではもちろんない。 自分が未熟であることを自覚し、その 分精一杯準備し、情熱を持って語りかけるときに、未熟さがプラスに転じるのだ。
教育において「新鮮さ」は決定的な重要性を持っている。いわゆる「教師臭さ」 は、学ぶ側の 構えを鈍くさせてしまう。 型どおりの教え方が染みついてしまっている、という印象を与えてしまうだけで大きなマイナスになるのだ。「決まり切った感じ」を印象として与えないようにすることが大 切である。 経験知を重ねる良さを残したまま、新鮮さを失わない。これは、もはや一つの技である。 「先生も自分たちと一緒に変化してくれるのだ」 という意識が学ぶ側に生まれると、場を一緒に盛り上げる機運が高まる。