短文
(1)
 テレビ番組は、その番組内容のすべてが視聴者に伝わるよう、わかるように作られるが、一歩間違えれば、「わかりやすいだけの番組づくり」になってしまう危険性がある。メッセージかシンプルな番組のほうが視聴率を取りやすい、などと言われる傾向があるなかで、「わかりやすく」することでかえって、事象や事実 の、深さ、複雑さ、多面性、つまり事実の豊かさを、 そぎ落としてしまう(注)危険性があるのだ。とりわけ報道番組では、このことは致命的な危うさになる。
(注)そぎ落とす: 削る

(45) 筆者が、番組づくりにおいて危険だと感じていることは何か。

短文
(2)
 人材育成という場面では、 相手に「失敗する権利」をもっと与えてもいいような気がします。それはなによりも「失敗する権利」を与えることが、相手の自発性を生み出すことに結びつくからです。
 逆にいえば「失敗する権利」 がないところでは、 行動がどうしても「しなければならない」 の連続になり、自発性よりも義務感を助長してしまいます。自分はどのくらい相手に「失敗する権利」を与えているのか、 一度立ち止まって考える価値はあるでしょう。

(46)筆者の考えに合うのはどれか

短文
(3)
 直感力は即座に作用する場合もあれば、逆に時間をおいて、ある日突然作用をすることもあります。言い方を変えれば、気まぐれな存在とも言えます。
 しかし、その気まぐれとも思える直感力による「発見や気づき」は、考え続けたり、悩み続けるといった努力と強い指向性(注)の結果として生まれてくる「閃き」であって、探求への意識関心がないところ発生することもありません。つまり、強い探求心と問題意識を持ち続けた結果として、あとから直感が働いているわけです。
(注)指向性:ここでは、特定の方向に向かう意識

(47) 筆者の考えに合うのはどれか

短文

(48)「思い出」について、筆者の考えに合うのはどれか。

中文
(1)
 巻によくある料理本について、私がかねがね不満に思っていたことがある。
 それは、たとえば炒飯ならば、一、フライパンを熱する。二、大さじ二杯のサラグ油を入れる。三、溶き卵を入れる。・・・・といった感じに書かれていることが多くて、なぜそうするのかが書かれていないのだ。なぜフライパンを熱してから油を入れるのか。なぜ溶き卵をこのタイミングで入れるのか。私は、そういうことが知りたい。型というかマニュアルが欲しいのではなく、その型が生み出された基本原理が知りたいのである。
 基本原理さえつかめれば、これは他にも広く応用が利くので、後々役立つ度合いが大きい。個別の型だけを学んでも、それは他のことに応用できるのかできないのか判断がつかないし、応用したとしても、その範囲はかなり限定されてしまう。そして何より、ただ誰かの作った型に理由もわからず無自覚なまま従っていること自体が、私にはとても気持ちが悪いのだ。
 (中略)
 型というものは、それを考案した人自身に最も必要だったものであって、必ずしもすべての人に有益とは限らない。真に学ぶとは、誰かの型をコピーすることではなく、そこからエッセンスを抽出して、自分に合ったやり方を生み出すことではないだろうか。
 マニュアルを使うことに慣らされた現代だからこそ、白紙の状態から必要なやり方をその都度見つけ出せるような人間を育てていく必要があるのではないかと、私はいろんな場面で思うのである。

(49) 料理本について筆者が不満に思っていたことは何か

(50)型について、筆者はどのように述べているか

(51)学ぶことについて、 筆者の考こ合うのはどれか

中文
(2)
 これまでずいぶんたくさんアニメーションを作ってきましたが、しかしなかなか未だに巧くアニメーションを作るのは難しく、大変です。いつもどう作ったらよいのか、作り始めてからもとまどってしまうのです。しかし少しずつ形になってくると、ふつふつと(注1)楽しくなってくるのです。そしてできあがってきたイメージと自分の頭の中のイメージとの、一致とズレを近づけたり、遠ざけたりするために、たくさんの作業を積み重ねて、最後には、どこかであきらめを付けて、終わりにします。
 ただその時には終わったと思っても、少し時間を置いてみると、もう少しこうすればよかった、ああすればよかったと、後悔ばかりが浮かんできて、自分のアニメーションの上映会に立ち会う時は、いたたまれない思いがします。アニメーションに限らず、クリエーター(注2)は多かれ少なかれ、ただ楽しいばかりではなく、こんな思いをしながら、次こそは自分のベストを形にしようと、日々まるで「修行」のように物作りに追われていくのではないでしょうか。いつかは、この魔物から逃れて、心安らかな日が訪れるのを夢想しながら。
(中略)
 現実世界には、辛いことや思いどおりにならないこともたくさんありますが、創作活動の中、精神の世界で自由に羽を伸ばせる時、そこには他のいろいろな楽しい娯楽では味わえない深い喜びがあり、それがこの魔物から逃れられない理由のひとつです。
 そして、言葉にはできない価値観をうまく作品として整えられた時、それは人の反応や評価を超えた、絶対的な充実感を与えてくれるものと信じています。 
(注1)ふつふつと:心の中からわいてくるように
(注2) クリエータ 一: 創造的な仕事に携わっている人

(52)筆者にとって、アニメーションを作る作業とはどのようなものか

(53)この魔物とは何か

(54)創作することについて、 筆者の考えに合うのはどれか。

中文
(3)
 人間の脳の一部に、前頭葉というものがある。
 この前頭葉は、意欲や感情のコントロール、思考や想像のスイッチ機能を果たしていると考えられている。そして、長期記憶を保持する役割も担っている。しかしここが、脳の中で一番早く老化が始まるのだという。
(中略)
 前頭葉の老化に拍車をかけると懸念されているものがある。デジタルだ。(注1)
 人間がパンコンやスマートフォン(注2)、インターネットなどに頼り過ぎるようになったことで、自分の頭の中に情報や知識を蓄積したり、繰り返し引き出す機会が減った。それが前頭葉の老化をいっそう促しているという指摘がある。
 デジタルの中に蓄えられる莫大な情報を、人間に新たに与えられた「外部脳」だと解釈し、これが人間の効率化につながるのだという見解が増えた。外部脳を持てば、自分の脳を記憶装置にせず、思考の場として徹底できる、そう考える専門家も少なくない。
 かし、外部脳に頼ることの代償が前頭葉の老化促進だとすれば、この考えに対しては慎重に対峙(注3)しなければならない。
 自分の脳の中に情報や知識を記憶し、それを駆使してこそ生まれる連想や判断というものがある。これを頻繁に繰り返すことで、人間の脳の潜在力が引き出され、老化も防ぐことができる。外部脳ができたことを謳歌する前に、自分の脳を鍛え、活用することの重要性を再認識する必要がありそうだ。闇雲に(注4)デジタルへ脳の役目を託すことは、危険を伴うと言わざるを得ない。外部脳に人間の脳が持つ元来の力を奪われかねないのだから。
(注1)デジタル: ここでは、デジタル機器
(注2)スマートフォン: パンコンの機能もある携帯電話
(注3)対峙する: 向き合う
(注4) 闇雲に深く考えずに

(55)筆者によると、 デジタルを使うことで前頭葉の老化が進むのはなぜか

(56)この考えとはどのような考えか

(57)筆者が言いたいことは何か

長文
(1)
 大学2回生(注1)の頃だったか、フランス語の文章を講読する授業に出席していたところ、なにかの折に先生が、「分かるものを読むのは読書ではなく、分からないものを読むのが読書です」と仰った。
(中略)
 先生の言葉を聞いて当時の私は、自分がそれまでに知った限られた知識を確認するだけの本を読むのではだめで、自分の知らない考え方や感じ方にふれることによって、自分の偏狭(注2)な物の見方を問い直さなければならない、と先生は言いたかったのだろうと思った。先生の言葉に私は感銘し、その時以来、当時の私にとってとりわけ難解であったフランス現代思想の哲学者や思想家の本を、理解できるようになるまでとことん読むように心がけた。
 そんな読書を続けるうちに、はたして、難解な本を理解するだけの読書でいいのだろうかと自問するようになった。というのも、理解するということが、そもそも良いことかと問いかける哲学者や思想家の本を読んだからだ。理解するとは、人であれ物であれ、その人やその物を理にかなった(注3)仕方で知る良い方法だとたいていは言われる。
 しかしながら、理にかなった仕方で、その人の人格なり、その物の本質なりを知ることには、暴力的なところはなにもないのだろうか。理解するということは、唯一存在しているこの人やこの物を、その単独な在り方ではなく、ほかの入やほかの物と共通する一般的な在り方で捉えることだ。私たちがなにかを知ろうとする際に頼りとする概念や観念は、様々な在り方をする諸々(注4)の存在に当てはまるから役に立つ。
 概念や観念は私たちが知ろうとする対象の在り方に力を加えるわけではないのだから、知る私たちと知られる対象の間に立つ中立的な光のようなものだと見なされている。的確な概念や観念をとおして諸々の存在を理解するのは、正しい学間だとされてきた。
 しかしながら、たとえそれが正しくても、この人やこの物が持っている単独のなにかは、理解では捉えられないまま、知それ自体のなかで忘却(注5)されてしまいがちだ。なにかを理解できるということは、たしかに人間の優れた能力である。が、それは武器であり、 この至高(注6)の武器の前では、およそ存在するものはなんであれ、ほとんど抵抗することができないということを心得ていなければならない。
(注1)2回生: 2年生
(注2)偏狭な: 偏っていて狭い
(注3)理にかなった: 合理的な
(注4)諸々の: ここでは、あらゆる
(注5)忘却する: 忘れ去る
(注6)至高: 最高

(58)筆者は先生の言葉を聞いて、 なんのために読書をするようになったか

(59)理解するとはどういうことか。

(60)理解することの問題点について、 筆者はどのように考えているか

統合理解
A
 ビジネスで相手をうまく説得したいとは誰もが思うことだろう。私が最も意識しているのは、相手の性格や価値観、知的水準などに応じた説明のしかたをすることだ。具体的で明快な例を決める人もいるし、データに基づいた緻密な説明を好む人もいる。さまざまなタイプに合わせて対応することで、説得力を高められるように努めている
 ただ、どのような相手でも、まずは話を聞いてもらえなければ意味がない。そのためには、話し方や服装などの最低限のマナーは身につけておかなければならない、中身のある話ができればいいとこれらを軽視する人もいるが、初対面で悪い印象を持たれてしまうと、そもそも話を聞こうとは思ってもらえず大きなマイナスになってしまうからだ。もちろん相手の印象を気にしすぎるのは問題だが、いい印象を持ってもらうことはプラスに働くことも多いと思う。

B
 説得力を高めるための第一歩は、「送り手」としての自分自身の信頼度を高めること。「この人は信用できそう」といった印象を与えることです。多くのビジネスパーソンが服装や言葉づかいを気にするのも、信頼できる印象を与えたいからに他なりません。
 何よりも重要なのは、説得内容に関連した知識や情報を十分に吸収し、専門性を高めておくことです。
(中略)
 仕事に関連する情報というのは、日常生活の至る場面に転がっています。街を歩いていても、ショッピングモールや行楽地に出かけても、人々の行動パターンやライフスタイル(注)を知るヒントが見つかります。専門的知識や情報を生活に密着した形で提示することができれば、より説得力が増すはずです。説得力のある人には日頃から研究熱心な人が多いのもそのためです。
 好印象も説得力につながります。人の話に耳を傾け、言葉と心のキャッチボールができる人は、間違いなく好印象を与えます
(注)ライフスタイル 生活様式

(61)AとBの認識で共通していることは何か

(62)説得力を高めるために必要なことについて、AとBはどのように述べているか

主張理解
(1)
 植物は美しい花を咲かせ、虫を誘った。鳥は飛ぶために翼を生やした。しかし、生物は、自ら求めてそのような性質を得たわけではない。生命にとって新しい変化は偶然によってしか生まれない。
 DNAが複製され、親から子に受け渡されるとき、こくこく希に、ほんのわずかな誤植(注1)が発生する。もちろん誤植はランダム(注2)におきる。ささいな誤植は新たな変化をもたらす。その変化自体には目的も意図も方向性もない。そこから何かを選びとるのは自然環境である。自然環境に適した変化は選択され、子孫を残す。環境に不適な変化は子孫を残せず、淘汰される。(注3)
 ところが。もし本来ならあっさり淘汰されてしまうような変化であっても、それを選びとり、守り、育むような「選択者」が自然以外に存在すれば、その変化は生きのびることができる。そんなことが近年、実はたくさん、あちこちで起こっている。近年、といってもそれは、人間がこの世界に出現して以来のこと。
 たとえば鳥。鳥は卵を産むと巣に籠って暖める性質を持つ。数週間それに専心(注4)する。しかし、もし何らかの突然変異によって鳥の習性が変化し、卵を産んでも暖めることを放棄してしまったら。そんな変化は、子孫を残すのに圧倒的に不利だから、たちまちそんな鳥は淘汰されるはず。
 ところが人間はその鳥の卵を鳥に代わって暖め子孫を増やしてやることにした。なぜか。鳥は卵を暖めることを放棄したかわりに、またすぐに次の卵を作りはじめる性質を持っていたから。こうして現在、私たち人間は、毎日排卵(注5)し、毎日のように卵を産みっぱなしにして平然としている鳥、すなわち、一年に300個以上も卵を産み続けるニワトリ、①ホワイトレグホンのを選びとった。
 たとえば②カイコ(注6)はもともとクワコという蛾の一種だった。人間が常時、餌を供給して人エ的な環境を与えた。すると幼虫は自分で餌を探索するのをサボるようになった。その分の余力をもっと別なこと、つまり絹糸を作り出す能力に振り向けるような種が選別された。かくして自分ではほとんど動けず、必要以上に大きく厚手の繭(注7)を作りだし、そこから出ることも飛ぶこともできないような昆虫が作り出された。カイコは人間がいないと生きていけない。
(中略)
 人間がその進化のプロセスに介入し、自然になりかわって選択者としてふるまい、作りかえ、新たに生み出した生命。その生命たちはもはや人間なしでは生きていくことができない。一方、人間もまたそんな生命に助けられ、あるいは支えられて生きている。これは人間と人間が作り出した生命との新たな共生関係とも呼べる。
 人間が登場して以来、進化の歴史は新しい局面を迎えた。人が作りかえたいのち。それに対して人間 はきちんと責任を取らなければならない。
(注1)誤植:ここでは、ずれ
(注2)ランダムに:偶然に
(注3)淘汰される:ここでは、滅びる
(注4)専心する:集中する
(注5) 排卵する: ここでは、体の中で卵を作る
(注6) カイコ : 絹糸を作り出す虫
(注7) 虫が自身を包むための球状の渡い

(63)筆者によると、 自然界で子孫を残した生物はなぜ子孫を残せたか

(64)①ホワイトレグホンについて、筆者はどのように述べているか

(65)②カイコについて、 筆者はどのように述べているか。

(66)筆者が言いたいことは何か。

情報検索

(67)ジェシカさんは、9月に受講料9,000円のビジネスマナー講座を、10月に受講料27,000 円のプレゼン講座を受講する。ジェシカさんが会社から受けられる補助は、いくらになるか。

(68)森田さんは、2月20日にビジネス文書講座を受講する。受講料補助の申請はどうしなければならないか。