以下は、ある数学者が書いた文章である。
数学というものは、解き方がわかってしまったあとで、力がつくことはない。解き方を身につける前の、まだ解き方のわからない間だけが、力をつけるチャンスである。解けるようになるのは同じでも、それまでのあり方で、力が身につくかどうかが、きまってくる。
それに、おもしろいのも、本当は、まだ解けないで、いろいろと考えている間である。解けなきゃつまらないようだが、それは早く解こうとあせるからで、楽しみは解けるまでのほうにある。解けるようになったあとは、むしろむなしい。だいたい、「答えのわかっている謎」なんて、意味がない。解き方がわからないからこそ、問題の名にあたいするのだ。
もちろん、まったく手がつかない(注1)のでは、おもしろくもないが、案外に、多少はわからないでも、頭のなかに飼っておく、そのうちに馴れてくれて、わかってきたりする。その、だんだん少しずつ、わかりかけというのも、オツな(注2)ものだ。そのためには、それを飼っておく、頭の牧場がゆたかでなければならない。本当のところは、数学の力というのは、いろいろとわかったことをためこむより、わからないのを飼っておける、その牧場のゆたかさのほうにあるのかもしれない。
とくに、公式などをおぼえるのには、ぼくは反対である。それは簡単すぎて、少しもおもしろくないし、おぼえたものは忘れるものだ。とくに、急いでおぼえたものは、早く忘れる。同じおぼえるにしても、なるべくなら時間をかけたほうが、長持ちする。
(中略)
このごろは、テストでおどされる(注3)ことが多いので、わかること、解けることを急ぐ傾向にある。たしかに、テストなどでは、時間がかぎられているので、急ぐのも多少は仕方がない。しかしながら、時間を制限されたときに急いでできるためには、時間の制限されていないときに、時間を気にしないでやっておいたほうがよい。テストで急ぐためには、テスト以外では急がないほうがよいのである。
どんなやり方でも、わかって、問題が解けるようになる、という結果は同じかもしれない。しかし、ゆったりとやると、そのわかり方にコク(注4)が出てくるものだ。そして、その結果に達するまでの道筋を楽しむことで、力がつく。
勉強を楽しむなんて、と思うかもしれないが、それは目的ばかり見てあせるからで、楽しむ気になれば、なんだって楽しめるものだ。
(注1)手がつかない:ここでは、できない
(注2)オツな:ここでは、おもしろい
(注3)おどされる:ここでは、早く問題を解かされる
(注4)コク:深み