(1)
 私は、何を表現したくて漫画を描いているのか? マンガ家を目指したころから考えていた。
(中略)
 古代から、似た物語はたくさんある。ドラマ(注1)作りで大事なのは、新しい筋立て(注2)やエピソードを無理やりひねり出すことより、 作者独自の考え方を、 ドラマにのせて表現することなのだろう。十代の私は、そう気づいた。 しかし「自分の考え」をどうやって確立するのか? 自分の考えのつもりでも、 人の意見に引きずられているかもしれない。
 そこで新聞を使った「修業」を思いついた。 毎朝、新聞を適当に開き、 目をつぶって紙面を指す。そして指先にふれたところに載っていた記事の中の人物になりきって「この後どうすればこの問題が解決するか? どう振舞うのがベストなのか?」を毎日、真剣に想像した。
 これをくり返すうち、 自分なりの考え方をきちんと言葉で表現する大切さが分かってきた。 そして自分が何を表現したいのかも、 おぼろげ(注3)ながら見えてきた。
 突き詰めると、 私は「ヒロインが何を考えているか」を描きたかったのだ。
 それまでの少女漫画には、 主人公である少女が能動的に動く物語が少ないように感じていた。 それよりヒロインの喜怒哀楽、 感情が描かれることが多かった。 でも私は、自ら考え決心して生き方を選ぶ少女を描きたかった。
 そのため私の作品では、 何かを決意するまでのヒロインの試行錯誤が長い。 第一読者である担当編集者には「理屈っぽい」と言われ続けている。 「ヒロインが泣く時に読者が共感してくれるんだ」とアドバイスされても、泣く前に考える女性を描き続けた。
(注1) ドラマ: ここでは、 ストーリー
(注2) 筋立て: 話の組み立て
(注3) おぼろげながら: ぼんやりではあるが

1。 (49) 筆者は何のために新聞を使って「修業」をしていたか。

2。 (50) 筆者は、「修業」を繰り返した後、漫画で何を表現したいと思ったか。