SNS(注1)を含むリアルタイムウェブ(注2)の本質は、時間と過程の消去にある。かつてコンテンツ(注3)の拡散には一定の時間がかかった。権威やメディアをすり抜ける必要もあった。けれどもいまや、それらの面倒をすべてすっとばし(注4)、無名の書き手が一晩で何百万もの支持者を集めることができる。それはSNSの良いところだ。
けれども人生にはトラブルがつきもの(注5)である。どれだけ誠実に生きていても、誤解や中傷に曝されることが必ずある。そしてそういうとき、SNSの支持はほとんど役に立たない。匿名の支持者は、トラブルの話題自体すぐに忘れてしまう。あっというまに(注6)集まった人々は、同じくあっというまに離れる。そこで継続的に助けてくれるのは、結局は面倒な人間関係に支えられた家族や友人たちだったりする。
SNSの人間関係には面倒がない。だからSNSの知人は面倒を背負ってくれない。そんなSNSでも、たしかに人生がうまく行っているときは大きな力になる。けれども、本当の困難を抱えたときは、助けにならないのだ。
これからの時代を生きるうえで、SNSのこの性格を知っておくことはとても重要なように思う。そもそも、人生の困難なるものは自分と世界のズレの表れである。自分はあることを正しいと信じるが、世界はそう思わない――そういう対立が生じたとき、困難が訪れる。だから困難そのものが悪いわけではない。むしろ、概念の発明や政治の変革は必ず困難とともに生じる。その困難を時間をかけて解消し昇華する(注7)ことで、はじめて自分も相手も社会も進歩するのだ。けれども、いまのSNSにはそのような熟成の余裕がほとんどない。
困難な時期を支えるとは、言いかえれば、支える相手と世界の関係が変化する過程に時間をかけてつきあうということである。ひとりの人間が変わるというのはたいへんなことで、「いいね!」をつけるようにポンポン複製できるものではない。いわゆる「議論」で相手が変わると考えているひとは、人間の本質について無知である。ぼくが一生をかけて変えることができるのは、ごく少数の身の回りの人々だけであり、そしてぼくを変えることができるのもおそらくは彼らだけだ。その小さく面倒な人間関係をどれだけ濃密に作れるかで、人生の広がりが決まるのだと思う。
家族も友人もあっというまには作れない。面倒な存在でもある。だからこそそれは変化の受け皿となる。面倒がないところに変化はない。情報技術は、面倒のない人間関係の調達を可能にしたが、それはまた人間から変化の可能性を奪うものでもあった。そのことを忘れずにおきたいと思う。
(注1)SNS:ウェブ上での情報のやり取りや交流の場を提供するサービス
(注2)リアルタイムウェブ:情報更新が即時に行われるウェブ
(注3)コンテンツ:ここでは、情報
(注4)すっとばす: ここでは、省略する
(注5)つきもの:必ず伴うもの
(注6)あっというまに:短い間に
(注7)昇華する:ここでは、別の良いものに変える