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子は親の鏡と言われる。こどもを見れば親が分かるということだが、こどもは親のしぐさ、もの言いを実によく見ている。三つにもなれば如何にも(注1)生意気で反論などをするものだが、 「そんな言い方をするもんじゃない」と言ったら負けだ。「あら、あなたの言い方とそっくりよ」と横からチクリと揶揄される(注2)のがオチだから。全くこどもは物真似の名人なのである。アイドル歌手からくまのプーさんの喋り方まで、見境なく(注3)貪欲にコピーしてしまう。コピーすることによってこどもたちはすべてを獲得してゆく。こどもたちは個性的であろうなどと少しも考えない。みんなと同じじょうにできることが嬉しくてたまらないのだ。
だが、こどもの再現のありさまを少し注意深く観察していると、この性能の良い複写機の、本当の性能の良さが見えてくる。大人たちの考えるコピーとはいささか違うのである。こどもたちの身体的能力、言語的能力は未熟なのでオリジナルなものの完璧なコピーはできない。従ってこどもはオリジナルなものを自由に改変する。切り捨て、誇張する。それはオリジナルなものからの絶妙な逸脱なのである。この模倣行為は、むしろ、一人のこどもの生きる生活全体のなかで、今全く新しく意味付けられた別のオリジナルなものが生成していると言ってもいいものなのだ。
こどもが模倣をしながらも、とりわけ個性的であるのは、このような模倣モデルからの自由な逸脱があるからだ。私たちがこどもを見て楽しむのも、その逸脱のほほえましさなのではないか。
(注1)如何にも:見るからに
(注2)揶揄される:からかわれる
(注3)見境なく:区別なく、何でも