(3)
 私は、自分の研究をおもしろいと思えるのと同じ程度に、他人の研究をおもしろいと思えるかどうかが、研究者に向いているか否かの判断の基準であると思っている。いくらいいデータを出す人であっても、他人のデータを自分の仕事と同じだけの熱量を持っておもしろがれなければ、研究者としてははっきり不向きであると思わざるを得ない。学者としては失格であろう。
 これがもっとも端的にあらわれるのが、研究発表の際に見られる質問の量である。
(中略)
 発表された内容を、当事者として自分ならこういうアイデアで実験をし、結果をこう解釈することもできある、明確な結論を得るためにはこの部分に不備があり、次にはこんな実験を計画すれば、もっとはっきりした結論に到達することができるのではないか、などなど、考え始めれば、おのずから尋ねたいことは次から次へ出てくるはずなのである。
 私はこれを「能動的に聞く」と言っている。人の話は、能動的に聞いてこそ、自らの身につくものである。話された内容をただひたすら覚えようとしたり、吸収しようとしているだけでは、却ってその知識は自分のものとならない。
 「能動的に聞く」とは、話された内容を、自らのこれまでの知の体系のなかに位置づけることであり、位置づけるためには、聞きつつ常に自分の知の体系を確認し、照合する作業を伴うはずである。外部からインプットされてくる内容と、既存の自らの知識の箱とのあいだに軋礫が生じるのは当然であり、その軋礫こそが質間を促す力になる筈なのだ。

1。 (53) 筆者によると、研究者として不向きな人とはどのような人か。

2。 (54) 筆者によると、 どのようにすれば質間の量が増えるか