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以下は、今の若い人について書かれた文章である。
大勢の前で意見を述べるのは誰でも緊張する。うまく伝えられるかどうかと思う不安はあるから気後れする(注1)人もいる。それは、いつの時代も変わらないと思う。ただ、私たちの場合は、うまく話せないからと尻込みする(注2)者はいたが、自分の考えを言うことを嫌がる者はあまりいなかった。というのは、仲間との議論はみんながやっていたからだろう。
私は別に議論がいいと言っているわけではない。ただ、自分が感じることや考えることを言って、友だちの意見を聞くことは、自分の考えを確かなものにしていくためには欠かせないと思うので、議論という言い方をしているだけなのである。
ところが、今は中高生に限らず若い人全体の中に、まったくと言っていいほど議論がない。違いを主張するのは相手に自分を理解してほしいと思うからで、仲のいい関係であればあるほど自然なことなのだが、それを主張しなくなっている。
以前、若い人を取材して、なぜ言わないのかと訊いた(注3)ときの返事は、「人にはそれぞ考え方があるのだから、とやかく(注4)言うことはできない」というものだった。これは、あたかも(注5)相手を尊重している「個人主義」のように聞こえるが、気のおけない(注6)はずの親しい友だちに対してもやっているのは不自然である。
本当は、「自分の言うことに反対されて傷つくのがいやだから、 相手の言うことにも反対しないわけ」で、<結局、友だちに合わせているのは、友だちのことを思っているからではない。自分がかわいいのであり、傷つきたくないからなのだ>ということだろう。
(注1) 気後れする: 消極的になる
(注2) 尻込みする: ここでは、不安になってやろうとしない
(注3) 訊く: 尋ねる
(注4) とやかく: 良いとか悪いとか
(注5) あたかも: まるで
(注6) 気のおけない: 気をつかう必要がない

1。 (61) 大勢の前で自分の意見を述べることについて、筆者たちの場合はどうだったか。

2。 (62) 今の若い人たちが議論をしない理由として、筆者の考えに合うのはどれか。