「零は数である。」といったところは現在では新しく人の耳には響かないかもしれない。①( )一般の人がこの言葉の意味をに会得しているか否かは、実は、少々疑問なのではないかと思われる節があるのである。現に戦争前のことであるが、某校の入学試験に際して、受験生全部を三つの組に分ける必要が生じたことがあった。このとき、数学の先生は、受験番号を、(1)3で割り切れるもの、(2)3で割ると1が残るもの、(3)3で第ると2が残るもの、という風に組み分けすることを提案した。すると常識的でないという一般的非難と同時に、これでは番号が1や2の者はいずれの組にもはいらないことにならないか、という②批判的な質問が出て、大いに③驚いたという話である。1を3でわれば、商は0で残りは1である。だから番号1の者は当然(2)の組に入るわけなのであるが、これは、すでに学校教育をおえてしまったほかの先生たちから見れば、すこぶる形式的な不自然な考え方のように思われるらしい。そう思うことも「常識」から見てそう無理ともいえないかもしれないが、ただしかし、いったん0を数と考えてこれにプラーマグプタ(注)の述べたような加減乗除に関する性質を写える以上、いまのような数学者流の考え方に導かれるのは必然なのであって、そうしなければ、かえって、わざわざ数学に0を導入した意義が失われてしまうおそれさえあるのである。
(注)プラーマグプタ: 7世紀のインドの数学者