斉藤宗吉というと少々重々しい。作家北社夫さんの本名である。偉大な歌人である父茂吉は意子宗吉に医者になってほしかった。日頃「文学なんか絶対にやらせんリ!」と言っていたそうだ。
父や世間の目をごまかすために学生時代、筆名で詩や小説を発表した。トーマス・マン(作家名)に耽溺していた宗吉さんは、マンの小説「トニオ・クレーゲル」から「杜ニ夫(とにお)」としてみた。変だから、とにを外して社夫にした。姓は北国にいたから。実名の平岡公でなぐ、三島由紀夫という筆名にしたのも両親の配慮だった。デビュ一が旧制中学時代で恩師らの判断だった。編集会議をしたのが三島駅辺だったから姓を「三島」に、近くに見える富士山から「ゆき」を発想したという。