(1)
 以下は、ある大学の教員が書いた文章である。
 勉強とは加工業のようなものではないかと思います。部品や素材を加工して自動車をつくるのと同じように、いろいろな知識や情報という材料を取り入れて、それを自分の中で加工して違った形、違ったアイディアにする。そして、それをほかの人たちに伝えたり、自分の日々の生活や仕事の決定に活かしたりする。私の場合で言えば、論文の形になるか、学生に教える話になるかで、出てくる形は自動車とはだいぶ違いますが、でも加工をして何かを生み出しています。
(中略)
学者に限らずどんな人でも、日々、情報を選んだり、編集したりという形で、情報を加工しています。直接的に何かを発信しなくても、自分の選択や判断、行輸というのは、自分の中に取り入れた情報や知識や理論を加工した結果、出てきているのです。
その加工をする際、大切なのは、自分の中で「熟成させる」という過程です。ここで「熟成させる」というのは、自分の中でしっかりその情報を吟味して、その意味を考え、自分のものにする作業です。それには多少の時間がかかりますが、私はこれが、学ぶことにおける一番大事なプロセスだと思っています。
 とりわけ今は、新しい知識や「青報というのは、ほうっておいても入ってくる時代です。あまりにいろいろな「青報や知識が押し寄せてくるので、つい情報や知識を収集することにカを入れすぎて、「熟成」させることが(私自身も含めて) 、おろそかになりがちです。
 また、学んだことをすぐ活かせないといけないとか、すぐに行動を起こせないといけないとか、何か、社会全般が即席生産、促成栽培のようになっている気がするのです。
 こういう時代だからこそ、相対的に大事になってくるのは、得られた情報や知識を自分の中でどう加工するかをじっくり考え熟成させることです。入ってきた情報を使って、じっくり時間をかけて考えたうえで、自分なりの考えを生み出し、行勤に移すこと、それが大事ではないかと思うのです。

1。 (67)筆者によると、情報をが工するとはどうすることか。

2。 (68)情報や知識の扱い方の問題点について、筆者はどのように述べているか。

3。 (69)筆者が言いたいことは何か。