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映像作品においては、作者が意識していることや認識(注1)していることが、見る者に必ずそのまま伝達される(注2)わけではない。会話のように双方向的なやりとりであるなら、自分が言おうとすることを相手が理解できなかった場合には質問が戻ってくる。ところが映像による表現は、印刷物がそうであるのと同じく、基本的に一方向的な伝達である。ゆえに(注3)映像の作者は、目の前にいない受け手がどのように理解するかを考えて、制作を行う必要がある。
作者は、自らの思考や意志のもとに作品を加工(注4)していくが、そこであっかう内容を作者自身は十分に知っているため、説明の不足や整理の不十分さに気づかない場合がある。作品のわかりにくさや混乱は、見る者に不快さやつまらなさを感じさせ、作者の思考や意志を理解することを妨げるばかりでプラスに作用(注6)することは少ない。この問題を解決するためには、見る者はなにも知らない状態で見ているという誰識を、作者はもつべきである。
しかし相手がなにも知らないからといって、すべてを説明しなければならないわけでもない。(中略)細かすぎる地図が必ずしもわかりやすい地図ではないのと同じで、必要なことだけを整理して伝えるべきなのだ。自分の映像作品に含まれている情報、たとえばひとつのショット(注6)の面像がどのような意味や青報を含んでいるか、あるいは含むべきかについて注意を払い、整理しておく。これは、上手に話をしようとするときに、言葉を選び、話の順番を考えることに似ている。
(注|)褒識する:理解する
(注2)伝達する:伝える
(注3)ゆえに:したがって
(注4)加工する:ここでは、作り上げる
(注5)作用する:働く
(注6)ショット:場面