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自慢ではないが、小中学時代、私はかなりな読書家だったと思う。学年でも上位に入るほうだったと思う。しかし、さあ読書感想文を書けと吉われても、いっこうに書けないのだ。自分でも不思議だった。どうして、こんなに本を読んでいるのに書けないのか、わからなかった。
つい先日、その永年の妖問が氷解した(注1)。私は、読書感想文が書けるような本を読んでいなかったのだ。といって、大人向けの妖しげな本ばかりだったわけではない。私が主に読んでいたのは、汽車の時刻表、地図帳、人名事典、旅行案内、百科事典、美術写真集、植物図鑑などの類(注2)であって、それらは、読書感想文を書けない種類の本だったのだ。
世の中には、読むための本と、調べるための本がある。読むための本は最初から最後まで読まなければならない。たいてい、人の人間が最初から最後まで書いている。一度退刷したら、挫折する(注3)しかない。小説や読み物はそのようなのだ。そうして、それが読書感想文の扱える典型的な本なのだ。私が読んでいたのは、何か疑問があったときに読む本で、必要なページしか読まない。退屈する暇がない。
(中遇)
世に読書嫌いと言われる子どもたちが多い。親は必死になかって、いわゆる(注4)読み物の類を買い与える。面白がるのならそれでもいいけれど、そんな本はつまらない、と言う子がいてもおかしくはない。それでも、恐竜カタログは好きかもしれない。歌の本なら読むかもしれない。
本の形をしているものに親しむことが大切なのではなかろうか(注5)。
(注1)氷解する:ここでは、解決する
(注2)類:種類のもの
(注3)挫折する:ここでは、あきらめる
(注4)いわゆる:般的に吉われている
(注5)~ではなかろうか:てではないだろうか