(2)
 生物の活動が昼夜の長さ、いいかえれば明暗の周期(光の周期)によってきまる現象は、「光周性」と呼ばれている。
 植物の花がいつ咲くか、動物がいつ繫殖(注)するか、いつ冬眼に入るかなど、いろいろなことが光周性によってきまることが、今ではよくわかっている。小鳥は光周性によって春の到来を知り、さえずり(注2)出すのである。
 その一方、多くの昆虫は暖かさで「春を数えて」 いる。
 昆虫が温度で春を数え、その昆虫を餌にしてひな(注)を育てる小鳥が日の長さで春を数えるということになると、そこに食いちがい(注4)がおこる可能性が生じる。

(日高敏際『セミたちと温暖化】 新潮文庫による)

(注1) 繁殖する : 動物や植物が生まれて増える
(注2) さえずる : 小鳥が鳴く
(注3) ひな : 鳥の赤ちゃん
(注4) 食いちがい : 少しちがって、一致しないこと

(57)( ア )( イ )に入る語句の組み合わせとして、適当なものはどれか。

(4)
 コンピュータの登場で、本の世界は、大きな衝撃を受けた。いまただちに目には見えなくても、その衝撃がボティブロー(注1)のようにじわじわと効いて、やがて全身におよぶのはまちがいない。本をはじめとするドキュメント(注2)の領域にコンピュータが進出し、原稿の作成から流通にいたるまで、コンピュータが、多くの場面で大きなパワーを発揮するようになった。紙の本が消えて、デジタルのデータだけになることはとうぶんは考えられないにしても、本の世界は、致命的な一繋をまえにして固唾をのんで(注3)いる、そんなふうにも見える。
 いま起こっている本の革命は、長い時間をへて、どのようになっていくのだろうか。

(歌田明私『本の未来はどうなるか」中公新半による)


(注1) ボディブロー : ボクシングの技
(注2) ドキュメント : 書類
(注3) 固唾をのむ : どうなるのか心配して、息を止めている

(58) 本文に書かれている本の世界に起こった変化とは、どれか。

(5)
 能力や適性は仕事の「前」にあるのではなく「後」に発見される。
 ある仕事が「できた」という事実が、自分にはその仕事を行う能カが備わっていたことをはじめて本人に教えてくれるのである。
 だから、上司が「この仕事をやってくれ」と命じたときに、「私にはそのような仕事を完遂する(注1)だけの能力がありません」という遁辞(注2)を述べることは就業規則で禁じられているのである。

(内印 樹 fひとりでは生き られないのも芸のうち』 文春文庫による)


(注1) 完遂する : 完全に行う
(注2) 遁辞 : 言い逃れの言葉

(59) なぜ、就業規則で禁じられているのか。

 「よそにできないものを作る。よそで作っているものやらないほうがいい。」
これは、小さな町の工場を世界に認みとめさせた原田はらだ社長の言葉である。
そうは言っても、初めはだれでも人のまねから始めるものだ。だが、10年、20年、その技術ぎじゅつをみがいていくうちに、世界で唯一ゆいいつ、他のだれにもまねできない「ものづくり」ができるようになる。そうしてそれが、「よそにできないもの」となるのである。

(1)この筆者から見た、「世界で唯一ゆいいつの会社」の特徴とくちょうはどんなことか。

 ひばり市の健康診断を受ける方はお名前を書いてここでお待ちください。お名前を呼ばれましたら、こちらの部屋にお入りください。最初に身長.体重.視力を測ります。次に、処置室に行って血液を深ってもらいます。そこで尿にょうを入れるコップをもらって、トイレに行って尿を深って、トイレの棚に置いてください。次にレントゲン室に行って胸のレントゲンをとります。検査はそれで終わります。最後に受付で検査の結果を聞いたり、先生の診察を受けたりする日の予約をしてお帰りください。

(2)行かなくていいところはどこか。

 熱心に勉強しているけどうまく話せないそんな人が、どんな教材で勉強しているのか聞くと、ゆっくりで丁寧ていねいな発音の音声を聞いてやっているんですね。アメリカにはゆっくり丁寧に発音する人はほとんどいないんじゃないですか。存在しない英語を聞いて覚えても 意味ないですよね。

(英会話教材の広告による)

(1)存在しない英語とは何を指すか。

 才能というのは誰でも同じようにあるわけではないし、勉強の才能がない人がそれ以外の才能を持っているという保証もない。それでも、様々な才能があり得るわけだし、自分の才能を探して、そこで頑張って心楽しくなれる人もきっと大勢いると思う。もちろん、何をやってもダメだということもあり得るわけだし、それは仕方がないことである。重要なことは、自分で自分のやり方を決定し、余り後悔しないことである。才能があってもなくなっても、自分なりの規範を見つけ、その中で自足することができれば、人は善く生きられると私は思う。

(1)筆者がここで最も言いたいことは何か。

サッカーには全く不案内なのだが、 いつも思うのは、 サッカーファンがどうしてあそこまで熱狂的になれるのかということである。 あの競技にはきっと魔力があるのだろう。 そうでなければワールドカップの異常な盛り上がりは説明がつかない。 日本にいるとよくわからないが、 海外では観客同士の乱闘などが当たり前だと聞く。いわゆるフーリガンだけではなく、 一般のファンが暴徒と化して死傷者まで出る、というのもめずらしくないらしい。 そんなスポーツは他にないだろう。

( 近田春夫『 僕の読書感想文』 国書刊行会による)


(1)筆者の言いたいことは次のどれか。

 夜の時間に行う野球そのほかの試合を「ナイター」と言っている。「デーゲーム」に対して「ナイトゲーム」といういい方も最近よく聞くが、「試合」のことを平気で「ゲーム」というようになったのは比較的最近のことではなかろうか。それまでは「ゲーム」というと子供の遊びというニュアンスが強かった。だから、真剣勝負の気合で臨む試合に対して「ゲーム」という言葉を使うのは抵抗があったことだろう。

(1)「ゲーム」という言葉について、筆者はどう考えているか。

日本語学科主任殿国際交流センター長
講演者の推薦について(依頼)
このたび、日本文化への理解を深めるため、下記により日本文化に関する講演会を 行なうこととなりました。
ついては、日本語学科から日本文化を専門とする教員2名を講演者として (  )。
日時:    平成23年6月21日 13時20分~17時10分
会場:    国際会議ホール(図書館6階)
講演会名:  「台湾から日本文化へのまなざし」 地域観

(1)この文章の(  )に入れるのにもっとも適当なものはどれか。

(1)
 一般男より女の方が、勘が鋭いといわれている。つまり、女は男のうそを見破る「勘」を持っているのだ。それは長い間、女性の社会的立場が低かったからだと私は考えている。
 (中略)社会的に力を持っている女性は、相手の心情を察する必要がない、相手がどう思っていようと、命じて動かすことが大事だからである。ところが、社会的に立場が弱い女性は、相手がどう思っているかが大事のなである。自分が生き延びたるめには、相手の気持ちを尊重しくなてはならない。必然的に、相手の本心を見抜く勘が磨かれる。

(竹内一郎『人は見た目が9割』による)

(55)文章の内容と合っいてるものはどれか。

(2)
 疑いをもつ人のほうが信頼される人であると知るべきだ。疑いを知らないお人よしは、かえって誰からも信用されない。その種の人は、すぐに言い含められてしまい、自分の考えが揺れるからだ。しかも、だまされやすいので、誠実な人間と嘘つきの区別もつかない。つまり、お人よしは、周囲の人を困らせているに違いなのいだ。これが自覚できれば、疑うことを知るだろう。そして、疑うことの長所を見つけ出してほしい。疑うことによって、何が真実なのか、何がうそなのかを見分けることができるようになる。だまされずに、自分の知性で真実を発見できるようになる。

(樋口裕一『頭のいい人、悪い人の話し方+による)

(56)文章の内容と合っているものはどれか。

(3)
 目分がこれまでやった仕事を部下に任そうとする時、大抵の場合、まだ少しカ量不足かと思うものだ。しかしそれ、をあえて、“この部下なら必ずやってくれるだろう”と信じ、また判断したうえで託していく。この期待に応えようと部下は努力し、カをつけていくものなのだ。(中略)また仕事を任せるということは、言葉を言い換えて言うなら部下を信頼するということである。自分が大切にしている仕事を託すわけだから、部下への信頼がないとできるものではない。その気持ちは自然と部下に伝わる。やはり、人間は、人から信頼されていると感じたとき、なにものにも替え難い満足感や生きがいが得られるものだ。
(江口克彦『上司の哲学』による)

(57)筆者が一番言いたいことは何か。

(4)
 うっかり冗談を言うと、「冗談も休み休み言え」と叱られることがある。冗談もいいが、そうのべごべつまくなしに言うべきではない、ということだろう。これと同様に「マジメも休み休み言え」と言えそうな気がする。ともくかマジメだが、何なとく人に嫌われたり、疎速されんたりする人がいる。言うこともすることもマジメで、その人の話を聞いていると、「なるほどもっとも至極」というわけで反論の余地がない。もっともだと思いつつ、しかし、心の中で妙な反発心が湧いてきたり、不愉快になったりしてくる。

(河合隼雄『処方等』Jによる)

(58)「マジメも休み休み言え」とあるが、その意味とてし正しいものはどれか。

(5)
 子どもに将棋を教えたり、子どもと駆けっこをするとき、私ちたは知らず知らずこの逆転の思想で行動します。子どもに勝つことを体験させ、その喜びを教えて頭をプラス思考にしようとしているのです。脳を活性化させるしくみが、快感物質のドーパミンであることからもわかるように、人間の脳は気持ちよさ、喜びが大好きです。それを手に入れるためなら、いくらでも能力を発揮します。「もっと大きな喜びを得よう」とウキウキワクワク状態で活動しはじめます。

(西田文郎『NO.1理論』による)

(59)「この逆転の思想」とあるが、ここで何を指しているか。

(1)
 医のアートとは、コンピューターで分析できる数量的なものではなく、その人でなくてはできないような技、配慮、判断力を含めた、技術の適応のプロセスを言う。医のアート(技)の内容の深さは、数量として測ることができず、サイエンスにはならない。しかし、近代医学の中に改めて確立しけれなばならない重要なファクター(注)である。医のアートは、患者や住民から音楽や美術のように批評を受けるべきものなのである。

(日野原重明『いのちの言葉』による)


(注)ファクダー:要素

(55)「医のアート」とあるが、その内容と合っているものはどれか。

(2)
 人間の幸せとはいったいなにか。それは様々な定義あるがだろう。お金持ちになることが幸せだ。結婚することが幸せだ。あるいは社会的な名誉や地位を得ることが幸せだ。それも確かに幸せなことかもしれない。しかし、私は,そういった表面上ことのだけではないと思う。人間として生まれたからには、自分が持って生まれた人間的能力を死ぬまでに発揮し尽くすことが幸せなのはでないだろうか。( ① )、人としての存在感や充実感、生きがいが出くるてのだと思う。

(江口克彦『上司の哲学』による)

(56)( ① )に入れるものとして、正しいのはどれか。

(3)
 自分の判断ミスによって、失敗たし時。こんな時に必要なもはのなにか。それは「自己育定カ」である。スミをしたのに、自己を肯定してどうするんだ、という考え方もあるだろう。だが、実は「自己否定」が強いほど、自分ミスのを認められないものなのだ。自己育定力が強いということは、ちょっとやそっとのことでは自己が動じないということだ。だから、ミスを認めても、自分自身の存在は揺るぎない。一方、自己否定の強い人間は、自分に自信ながいので、少しことのでグラついてしまう(注)。だからかえってミスを認めようとせず、自己正当化に走るのだ。

(斉藤『5孝分「でやる気」が出る賢者の言葉に』よる)


(注)グラつく:揺れる

(57)筆者が最も言いたいことはどれか。

(4)
 人間の弱さを知り、悪い心も知り、自分の中に誘惑に負ける気持ちがあることを認め、その上で精錬潔白であってこそ、知的な生き方だ。それを知らなければ、愚かとしか言いようがない。ところで、その種の人が、もし本当にボランティア活動をし、支え合う社会を作るために地道な努力をしているとすれば、それはそれで尊敬に値するだろう。だが、それをしないで、ただ口先できれいごとを言っている人が多い。だが、それでは、人に説教する資格はない。何もしていないのなら、ほかの人と何ら変わりはないのだ。

(樋口裕一『頭がいい人、悪い人の話し方に』よる)

(58)筆者が最も言いたいことはどれか。

(5)
 成功というものは、あくまでも努力と勉強が前提になっているものである。日々自分を高める努力をした結果、一つの成果が得られる。それが仕事の、いや人生の基本である。したがって、人間としてもっとも不幸なことは、努力もせずに成功を手に入れることではないかと思う。たまたま手に入った成功は、決して長続きするもでのはない。しかし、それに気がつかず、再び成功が天から降ってくるのを努力もせずに待つようになる。僥倖などたびたびあるはずもないのに、なんと愚かな姿ろうだ。

(江口克彦『部下の哲学』による)

(59)筆者が一番言いたいことはどれか。

(1)
 人間は弱い存在だから、自分自身を失わないように、しっかりとした価値観を持ち、さらに働く仲間と連帯していないと、抑制心を失い、自己を喪失した者の持つ「不安にせきたてられた能動的ニヒリズム(注)」に陥る。人権を主張するよりも、会社人間になることの中に、自分の生きがいを見出すようにする。( ① )自分自身の人生の楽しみがないので、与えられた仕事をこなすことを生きがいだと信じようとする。仕事の中に我を忘れれば、ほかのことを考えなくてすむし、家族を養うため、というわけもできる。

(叫唆渋「子豊かさとは何かに』よる)

(注)ニヒリズム:虚無主義

(55)( ① )に入れる言葉として、正しいのはどれか。

(2)
 表情というのは、実に大切なものである。表情を見れば、その人間の人となりまでも分かってしまう。そして表情は、上司の前に出たからといって急に変えられるものではない。日ごろの積み重ねがあればこそ、いい表情が出てくるのではないか。だから日頃から、親しみのある、人から話しけかやすい表情を作り心がけることが重要だ。そういう人のところに仕事も情報も集まってくるからである。

(江口克彦『部下の哲学』よるに)

(56)筆者が一番言いたいことはどれか。

(3)
 人間には、身体的エネルギーだけではなく、心のエネルギーというのもある、と考えると、ものごとがよく理解できるようになる。同じ椅子に一時間座っているにしても、一人でぼっと座っているのと、客の前で座っているのとでは疲れ方がまったく違う。身体的には同じことをしていても、「心」を使っていると、それだけ心のエネルギーを使用しているので疲れのるだ、と思われる。このような程度のことは誰しもある程度知っていることである。そこで、人間はエネルギーの節約に努めことるになる。

(河合隼雄『心の処方箋』による)

(57)筆者が一番言いたいことはどれか。

(4)
 コミュニケーションというのは、お互いを認め合ってこそ成り立つ。批判するにしても、相手の努力を認め、その長所を認識した上のものでなければいけない。相手の言い分をしかっりと聞き、それを考慮し、対案を示しながら批判する。「ここをこうすれば、もっとよくなる」ということをきちんと示せば、どんなに厳しく批判しても、言われたほうは、どうすればよいかがわかるので、次回からだんだんと力をつけていくだろう。

(樋口裕一『頭のいい人、悪い人の話し方』による)

(58)筆者が一番言いたいことはどれか。

(5)
 作家というものは、その作品を書いている間だけ「作家」である。原稿を書いている時の私は作家だが、原稿を書いていない時の私は、「何を考えているのかわからないへんなやつ」である。実際にそうだと思うし、それでいいと思っている。作家というものは、作品を書き上げて「作家」になり、作品を書き終えた後は、「あの作品の作者」という形で「過去の人」となるしかないようなものである。

(橋本『『治わからない」という方法に』よる)

(59)「それ」は何を指しているか。

(1)
 老人になるということは、赤ちゃんに戻っていくことである。自己中心的になり、衝動的になり、何回言っても同じ失敗を繰り返す。違うのは、子どもは大人に成長していくが、老人は徐々に大人らしさを失っいくてことだ。しわくちゃのおじいさんが失禁たしり、お膳のものをひっくり返したりするのは、赤ん坊と違って確かにかわいさがない。しかし、シェクスピアの言う「第二の嬰児時代」は、誰も通らねばならない「花道」なのだ。こう考えれば、しわくちゃの赤ちゃんのケアはどうあるべきか、おのずからわかってくる。

(日野原重明『いのちの言葉に』よる)

(55)筆者が一番言いたいことはどれか。

(2)
 「さて、今日は何を食べようか」とか、服などを買う場合でも「この服にしようか、いや、あの服ほうのがいい」などと、何かするをときに、いつも迷う人は、優柔不断な人だ。そんな傾向は日頃の自分の態度で気がつくはずだ。迷いこだわがりから発しているのなら問題はない。だが、何でもかんでも迷って決められないのは困る。自分でその点に気がついたら、とりあとえず、イエス、ノーをはっきりさせる、またいくつかの選択があるなら、とりあえずいずれかを選んでしまうことだ。

(樋口裕一『頭がいい人、悪い人の話し考』による)

(56)自分でその点に気がついたらあるとが、「その点」は何を指しているのか。

(3)
 上司から一と段高い仕事を与えられる。あるいは一度いくにつもの仕事を任される。たいていの場合は一瞬戸惑ってまうしだろう。「本当に自分にできるのだろうか」「一度にそんなにたくさんの仕事をこなせるだろうか」と不安になる。しかし、そこから逃げてはいけない。やれるかやれないかよりも、とにかくやってみるべきである。できない理由をあれこれと探すのではなく、できる方策を考える。このチャレンジ精神が何よりも大切だと思う。

(江口克彦『部下の哲学』による)

(57)筆者が一番言いたいことはどれか。

(4)
 子どもに期待したほうがいいという考え方には、「過度な期待で子どもが潰れてしまう」という反論がある。では何が「過度な期待」なのであろうか。過度な期待というのは、能力の限界に対する評価の問題だ。思ったほど成績が伸びない。やれば伸びるはずだ。伸びないのはやり方が悪いはずだと思うのは構わない。しかし、一日に英単語三十個覚えられないから怒ったりとか、自分ができないようなことを子どもに期待するはのおかしい。

(和田秀樹『頭をよくする習慣術』による)

(58)筆者が一番言いたいことはどれか。

(5)
 仕事の場にけるお電話なでど、「それでは後ほど、うちの女の子にでも届けさせます」などといった台詞を聞くことは少なくない。女性を非常に見下ろしている姿勢が如実に露呈されている表現である。「女の子」いうとのは、若い女性を軽んじていう言葉だ。「にでも」という言葉には、誰でよいものだが、という気持ちが込められている。単なる使い走りをする人である、というニュアンスが感じられる。(  )、「届けさせる」といって、命令をてしさせる点も強調している。

(山崎武也『上品な人、下品な人』による)

(59)(  )の中に入れる言葉として、正しいはのどれか。

(1)
 仕事ができる、できないの差はなんなのか。突き詰めるならば、それは理解力の差が大きい。与えられた仕事や上司の指示に対して、いかに早く、そして深く理解できるか。一のことしか言われなくとも、五ことのを理解できるか。十を悟ることができるか。(  )、いかにシャープな理解、対応ができるかが、仕事をしていく上では極めて大きな鍵となるのである。

(江口克彦『部の下哲学』による)

(55)(  )に入れる言葉として正しいのはどれか。

(2)
 生まれたばかりの赤ちゃんは「笑顔」に敏感です。笑いかけると、同じうによニコニコしたうれしそうな顔で応えます。ところが「怒りの表情」や「泣き」顔を見せても、ほとんど反応しません。その理由を考えてみると、答えは一つしかありません。普通の赤ちゃんは母親の「笑顔」を見ならがお乳を飲んだり、オシメを替えてもらいますから、「笑顔」に対してプラス感情になっています。しかし怒りや悲しみの表情は、たいていは体験が欠けているので反応を示さないのです。

(西田文郎『NO.1理論』による)

(56)生まれたばかりの赤ちゃんは「笑顔」に敏感ですとあるが、それはなぜか。

(3)
 自分が先入観をもちやすいと自覚ができたら、ともかく、相手に質問をすることを心がけることだ。早合点しそうになったら、「君の言いたいことは、こういうことか」とたずねる。それを忘れると、早合点してまうし。たった、それだけの質問で、愚かさを見せずにすむ。もう一つの理解カのいなタイプの人は、理解力をつけることを心がけてほしい。最も練習に良いのは、新聞の投書欄だ。投書は短く、言いたいことがはっきりしている。しかも、毎日更新される。毎朝、投書欄を読んで、その言いたいことを読み取る練習をしてはどうだろう。その際、キーワードを見つけて、その文章が何について語っているのかを明確にし、その文章が何に反対しているのかを考えれば、言いたいことは明確になる。

(樋口裕一『頭がいい人、悪人いの話し方に』よる)

(57)文章の内容と合っているものはどれか。

(4)
 私は仕事がらトップ企業の経営者とお話する機会が多いでのすが、「自分は怠け者です」という社長がくさたいまんす。どちらかというと、大きく成功している方ほど、そうおっしゃいます。“宮け者の成功者"のほうがむしろ多いです。状況が目まぐるしく変化するビジネス界で頭角を現すには、努力より大事なもがのあります。今は上昇している株価も明日は値を下げるかもしれない。新規に事業展開しても新しい技術が開発されれば、せっかくの設備投資がムダになる。アイディアーつで会社の未来が大きく変わってくる。

(西田文郎『NO.1理論:による)

(58)筆者が一番言いたいことはどれか。

(5)
 「運も実力のうち」という言葉があるように、仕事をしていくうえで、あるいは、人生を過ごしていくうえで、この不思議なものが存在するのは確かである。運の強い人と仕事をすれば物事がうまく運び、弱い人と組むとどうにもうまくいかない。そんな、理屈では説明できないものがあるものだ。
 では、この”運”とはいったい何なのか。結局、物事に対する解釈の問題だと積極的に捉えていく。その先に運というものがついてくるのではないだろうか。

(江口克彦『上司の哲学』による)


(59)筆者が一番言いたいことはどれか。

例題4 数学者アインシュタインや、作曲家モーツァルトは、ただ一つの能力に恵まれているから「天才」なのではない。方向が全く賢なる二つの能力を持っているから「天才」なのだ。つまり、物事の細かい部分を詳しく見る能力と、物事の全体像を大きくつか能力を持ちあわせているのである。物事の詳細な部分を見ていこうとするのは職人的、全体像をつかもうとするのは学者的な見方と言うこともできる。この二方向の能力をどちらも身につけていることが重要な意味を持つ。

この文章の内容として最も適切なものはどれか。

例題5 江戸時代以前、人々の普段の生活はとても単調で、毎日ほぼ同じ事の繰り返しだった。特に農村は娯楽もほとんどなく、食生活も貧しかった。白米や酒は贅沢品で、めったにロにすることができなかった。しかし、正月や祭り、結婚式などは特別な日だった。この日だけは白米や餅を食べ、たっぷりの酒を飲む。いい着物を着て、歌や踊りに興じる。このような「非日常」を思い切り楽しむことで、人々は「日常」のつらさを忘れることができた。
 民俗学者の柳田國男は、このような特別な場面を「ハレ」、それ以外の毎日の生活を「ケ」と名付けた。昔は「ハレ」と「ケ」がはっきりと分かれていて、それが人々の生活にリズムを与えていたと考えたのである。
 では、現在はどうか。もちろん結婚式などは今でも人生で特別な場面であろう。しかし、近代化が進んだ結果、昔は特別な日にしかできなかったこと一おいしい物を食べたり、綺麗な服を着るなどということは、すっかり普通のことになった。TVだ映画だカラオケだと、娯楽も日常化している。現代は「ハレ」と「ケ」の境界があいまいになっているのである。

この文章の内容として最も適切なものはどれか。

練習6 わたしたちはふつう、視野に入っているものはみんな見ている、と思いやすいのですが、視野に入っていても注意していなければ見えないものです。普段でもそうです、自分が足を怪我すると、町の中には足を怪我した人が思いの外に多いことに気がつきます。よく若者が電車に乗って老人に席を譲らないといいますが、あれは考人は網膜の上には映っていても、意識のアンテナが働いていないのだと思います。若者には同世代の若者がよく目についたのは、自分の経験からも分かります。

(安野光雅『絵のある人生』岩波書店)

この文章の内容として最も適切なものはどれか。

練習7 ニュースの価値や情報を決めるのは、客観的な基準やデータだけではなく、たまたまそのニュースを担当した人の感動や好き嫌いが大きく働いている。この「感情や好き嫌い」は、「王観」と言い換えることもできる。客観の反対。つまりテレビのニュースや新聞の記事は、何を報道するかしないか、何をニュースにするかしないかを決めるその段階で、もう客観的などというレベルではない。

(森達也「世界を信じるためのメソッドぼくらの時代のメディア・リテラシー』イースト・プレス)

この文章で筆者が最も言いたいことは何か。

棟習8 人間は何であれ、自由が好きです。「自由」とは「自分勝手(注1)」と考えてもらってもいいでしょう。人間は自分勝手を好みます。だが、他人の勝手になることを嫌います。憎みます。誰もが自分勝手に振舞おうとすると、他人の勝手と衝突します。自分の勝手を通そうとすると、他人の勝手を押しとどめなければなりません。またどんなに自分の勝手を押し通そうとしても、相手ほのうが強力ならば、相手の勝手に押さえ込まれてまうしことになります。「自由に」なろうと思うと、やっかいだということがわかるでしょう。

(薦小唄田太『考えることが苦手なた人ちへ10代らかのプチ哲学のすすめ』こう書房)


(注1)自分勝手:他人のことは考えず、自分の思いどおりに行動すること。

問い:この文章で筆者が最も言いたいことは何か。