短文
(1)
 機械はどんどん精密化し、巨大に進化している。人間の介入を許さないかのような迫力さえ感じさせる。だが、どれほど機械が進化しようとも、本質は変わらない。熟練工(注1)が金槌やドライバーなどの道具を、自分の体の一部のように自在に使いこなすことで最大のパフォーマンスを発揮するように、精密機器や巨大な設備も、人間が活き活きと動かすことが必要である。機械も道具である、という当たり前のことを、私たちは忘れてはいないだろうか。人間が機械に使われたり、単なる番人(注2)になったりするようなことがあってはいけない
(注1)熟練工:熟練した職人
(注2)番人:監視する人

(45)筆者の考えに合うのはどれか。

短文
(2)
以下は、ある電気店から届いたメールである。


宛て先:syo_yasuhara@kfy.co.jp
件名:イヤホン「AS-10」の件
日時:9月13日13:30


安原正一様

LM電気大木店をご利用いただき、ありがとうございます。

ご予約いただいたイヤホン「AS-10」ですが、メーカーの生産が遅れているため、発売日(9月20日)当日に、すべてのお客様にお渡しすることが困難な状況です。
本日、当店で9月20日にお渡しできる数が確定し、安原様のご注文分は確保できないことが分かりました。大変申し訳ございません。
安原様へのお渡しは10月以降になってしまうのですが、いかがいたしましょうか。ご注文のキャンセルも承っております。

お忙しいところ恐縮ですが、ご返信お待ちしております。

LM電気大木店
担当:上田映子

(46)イヤホン「AS-10」について、このメールで確認していることは何か。

短文
(3)
 消費者ニーズの多様化が進む今日、「あらゆる人のための商品」はありえない。経営資源が限られるひとつの企業が、すべての顧客を満足させることは不可能だ。
 今の時代、すべての顧客の要望に応えようとすると、結局、誰の要望にも応えないことになってしまう。「万人受け」(注)という言葉はすでに死語かもしれない。
 「誰に売らないか」を決めることによって、経営資源を最大限に有効に活用し、「売るべき人」に集中することができる。
(注)万人受け:皆に受け入れられること

(47)筆者が最も言いたいことは何か。

短文
(4)

(48) 筆者が言いたいことは何か。

中文
(1)
 中等教育(注1)で、生徒たちはいろいろな科目でさまざまな分野の知識に触れていきます。
 どのような知識でも必ず前提となる世界観や物事の枠組みがあり、そうした背景なくしては該当する理論や見識が成り立ちません。
 生徒たちは、それぞれの科目で分野ごとの専門知識に触れていくことによって、前提とされる世界観や物事の枠組みを、自分の世界観や考え方の一部として固定化させていきます。
 つまり、学習を進めて、専門知識を身につければつけるほど、前提とされる価値観や枠組みに縛られていくことになるのです。
 一方で、技術革新やグローバル化により、社会の仕組みや共通認識が、目まぐるしく変化する中、現在の自分の世界観から飛び出して、他の価値観を理解する力が必要とされています。
 哲学の営みの中核は、物事の根本や前提を問い直して、考察することにあります。
哲学の営みに親しむことで、現在のものの見方や考える枠組みから自分を解き放ち、急速に変化する社会の中で、揺るぎない(注)自分の価値観を模索していく力を身につけることができるのです。
より深いレベルでの学習が始まる中等教育においてこそ、より柔軟な「哲学する力」を養い始めることが必要とされているのです。
(注1)中等教育:中学、高校での教育
(注2)揺るぎない:強固な

(49)筆者によると、中学や高校でさまざまな知識に触れていくと、どうなるか。

(50)筆者によると、何のために「哲学する力」が必要か。

中文
(2)
以下は、羽毛を持つ恐竜について述べられた文章である。
恐竜には、鳥のように卵を温める習性があったことがわかっています。
(中略)
 気になるのは、いつから卵を温めるようになったのかということですが、羽毛を持った時点で、卵を温める習性も持っていた可能性があります。
 羽毛を持つことで、体温が維持できるようになるので、その体温を使って卵の温度を一定に保つことができます。特に夜間は気温が下がるので、夜に親が卵の上に座って眠っていれば、卵の保温にはとても効果的です。卵が一定の温かさで保たれていれば、さまざまな環境で卵が孵る確率が高くなります。
 爬虫類は卵を温めません。爬虫類の卵は、放置されても、1日のうちある程度の時間、気温が30度を超えるなどの条件が整っていれば、自然と孵ります。その代わり、爬虫類は1年のうち気温の高い限られた時期にしか産卵しません。生息地域(注)も限られます。
 羽毛のある恐竜が、鳥に近い体温を持っていたとすれば、夏以外の季節でも、寒冷地でも、安定して35~40度ほどの温度で卵を温めることが可能です。
 厳密に言うと、羽毛があると体の熱を逃がさないので、卵を温めるには不向きです。人間で言うと、衣服の上からでは温めにくいのと同じです。温めるなら、服の中に入れて直接体温が伝わるようにするはずです。
 卵を抱く時期の鳥も、卵と接する部分の羽毛がなくなり、皮膚がむき出しになります。恐竜が卵を温めていたとすれば、おそらく同じように、お腹のあたりの羽毛が抜けていたと思われます。
(注)生息地域生活している地域

(51)筆者によると、羽毛を持つことにはどのような利点があるか。

(52)お腹のあたりの羽毛が抜けていたと思われます。とあるが、筆者はなぜそう考えるのか。

中文
(3)
以下は、仕事でリーダーの立場にある人に向けて書かれた文章である。

 「君は何がやりたいの?」「どんな仕事が好きですか?」と聞いたとき、本人の口から出てくる答えが本当に「向いていること」とは限りません。なぜなら、どんな仕事をやりたいかについては、驚くほど多くの人がイメージに左右されています。特に若い人や新人であれば、その傾向は強くなります。本人の発言を(注1)鵜呑みにしてはいけないのです。
 仕事の実情を知らずに単純に「あの仕事が好きだ!」と思い込んでいたり、「商品開発のAさんは楽しそう。私も商品開発をやりたい」と憧れていたり。上司に何をやりたいか聞かれたから、それほど強い興味があるわけではなくても「特にありません」と答えるのは気まずいので、「なんとなくやりたいもの」をとりあえず答えただけというケースもあります。
 それを踏まえずに、「君、広報が好きなの?じゃあ、やってみなさい!自分で言うなら(注2)モチベーションも高いからうまくいくだろう」というリーダーは、(注3)マネジメントという大切な仕事を放棄しているようなものです。
 本人も気づかない埋もれたスキルを引き出し、チームの勝利に貢献してもらうには、リーダーがメンバー自身よりも、その人の適性を把握していなければなりません。
(中略)
 本当に適性があれば、新しいポジションで成果を出します。成果が出ると面白くなり、ますますスキルが上がります。やがて「自分が貢献できている、チームの役に立っている」と実感できるようになれば、それがそのメンバーのやりたい仕事になっていきます。
(注1)鵜呑みにする:そのまま受け入れる
(注2)モチベーション:意欲
(注3)マネジメント:ここでは、チームのメンバーの管理

(53)それとあるが、どのようなことか。

(54)部下への接し方について、筆者はどのように考えているか。

中文
(4)
 実験科学の世界では、仮説にぴたりと合致するような結果が得られることはまずないと「いってよい。その際、ほとんどの研究者はこう考える。自分の仮説は間違っていない。ただ、実験の方法がよくないから、よいデータが出ないのだと。そこで条件を少しずつ変えて、繰り返し実験を行うことになる。しかし、ほとんどの場合、実験がうまくいかないのは、実は、仮説そのものが間違っているからなのだ。
 だが、研究者は頑迷(注1)なので自説に固執してしまう。かくして膨大な時間と試行錯誤が浪費される。なので、科学研究にほんとうに必要な才能は、天才性やひらめきというよりは、むしろ、自己懐疑、失望に対する耐性(注2)、潔い諦め、といったものとなる。
 逆に、実験科学の世界では、時として、思い描いたとおりの、いや、想像以上にすばらしい見事な実験データが得られることがある。こんな時、研究者に求められることは何か。ぬか喜びし(注3)てはならぬ、ということである。実験の方法に穴があるから、見せかけだけの結果が出ているのかもしれない。つまりここでも自己懐疑、(希望に対する)耐性、諦め、が必要となる。
 英語にはこんな言い方がある。too good to be true(できすぎは、真実ではない)。もう少しだけ研究者に冷静さがあればあの「発見」はなかった。そんな誤謬(注4)はいくつでもある。
(注1)頑迷: 頑固
(注2)〜に対する耐性: ここでは、~に影響されない強さ
(注3)ぬか喜び:あとでがっかりする結果になる一時的な喜び
(注4)誤謬:誤り

(55)筆者によると、自分の仮説に合う実験結果が得られない場合、多くの研究者はどうするか。

(56)実験科学の分野の研究者について、筆者の考えに合うのはどれか。

長文
以下は、報道写真を撮る人が書いた文章である。
 写真の発表の場が減ったことで、その未来を懸念する声が多いが、私は、そうは思わない。音も動きもなく、数千分の一秒という高速で動きを止める写真は、テレビと比べると臨場感では劣り、「伝えるためのメディア」としては原始的なのかもしれない。しかし、テレビのように用意された答えを差し出し、「こうです」と押しつけるのとは違って、写真には、写真の一瞬に込められた意味を想像すること。その瞬間の前と後、あるいは、写っていべてが提示されていないからこそ、それを補うための想像力が必要となる。
(中略)
 ないものにまで思いをめぐらせること。さらに写っているものに、どう自分を重ね合わせ、何を感じ取るかということ。想像力を伸びやかに働かせることで、私たちは周りに流されずに、「いまの時代」を自分なりに感じ取ることができるはずだ。
 しかし、想像力を呼び起こすためには、写真に「絵」としての力があることが必要条件となる。最初に「絵画」の構成力や力強さといったものがあってこそ、人を惹きつけることができるはずで、そこから何を感じてもらうかはその次のこととなる。
 写真を始めた頃、「名作」と呼ばれる写真をたくさん見るように努めた。ロバート・キャパの「倒れし兵士」、カルティエ・ブレッソンの「水たまりを飛ぶ男」、ユージン・スミスの「シュバイッツア博士」......。それらの写真を前に、「どうして名作なのか」と考えた。その時は、すぐには答えが見つからなかったが、いま思うのは、「名作とは見る人が、それぞれに感じ取れるものがある写真」ということだ。悲しい時、うれしい時、その時々の心のあり様によって、一枚の写真から感じるものは違ってくる。若い時に、私が感動した写真でも、いま見ると、さほど感じないというものもあるし、逆に、若い頃は何も感じなかった写真がいまになって心に迫ってくることもある。様々な人が、心のままに写真に向き合い、そこからいろいろなメッセージをくみとれる写真が、多くの人に支持され、時を越えて残っていく名作なのだと思う。
 写真の力が失われていると嘆く人もいるが、いまはカメラ付き携帯電話が普及し、多くの場所で写真を撮ることができる時代でもある。その意味では、一億総カメラマンの時代といえるのかもしれない。誰もが撮ることができる時代だからこそ、独自の視点で、他の人が見逃していたアングル(注)で素晴らしい写真を撮ることができれば、多くの人たちによさが認めてもらえる環境が整ったといえるのではないだろうか。
(注)アングル:角度

(57)写真とテレビの映像について、筆者の考えに合うのはどれか。

(58)「名作」と呼ばれる写真について、筆者はどのように考えているか。

(59)写真について、筆者の考えに合うのはどれか。

統合理解
A
 小説を書こうとしている人やすでに何作か書いたことのある人が、よく私にテクニック面での質問をしてくるけれど、そういうとき私は「あなたが技術や手法について誰かに訊く(注1)たびに小説はあなたから離れていく」と答えることにしている。
(中略)
 自分の小説の行き詰まりをテクニック不足が原因だと考える人は「小説の書き方マニュアル」を信じる律儀さ(注2)と同じで、たしかに真面目で素直ないい人ではあるのだろうが、 本当に自分が書きたいことが何なのかをきちんと考えていないという意味で、怠けているということになる。
 小説の中身と表現手法・技術の関係は何重にも畳み込まれた(注3)もので、厳密に論じだしたらキリがない(注4)が、まずはそんな面倒なことは考えずに、「本当に書きたいことだったらテクニックなんか関係ない」と、シンプルに考えてほしい。


B
 小説を書くには想像以上の気力が必要である。書くことを決めて執筆に取りかかっても、自分には技術がないから下手な文章しか書けないと手を止めてしまう人が多い。しかし、そんなことで悩んでいるくらいなら、まずはどんどん書き進めてみるべきだ。テーマとジャンルを決める、構成と展開を考える、登場人物と舞台を決めるといった必要な手順を踏んだら、あとは書き始めること、そして完結させることが何より重要なのだ。
 いくら面白いストーリーでも、完結させないことには小説とはいえない。短編小説でも、納得できる出来栄えでなくてもかまわない。まずは自分の力で一つの作品を書き上げることだ。それができれば、自信が生まれ次の作品につながっていく。
(注1)訊く: ここでは、質問する
(注2)律儀さ: 礼儀正しさ
(注3)何重にも畳み込まれた:ここでは、複雑に絡み合った
(注4)キリがない:際限がない

(60)小説を書くときの問題点として、AとBが共通して挙げていることは何か。

(61)小説を書くために必要なことについて、AとBはどのように述べているか。

主張理解
 SNS(注1)を含むリアルタイムウェブ(注2)の本質は、時間と過程の消去にある。かつてコンテンツ(注3)の拡散には一定の時間がかかった。権威やメディアをすり抜ける必要もあった。けれどもいまや、それらの面倒をすべてすっとばし(注4)、無名の書き手が一晩で何百万もの支持者を集めることができる。それはSNSの良いところだ。
 けれども人生にはトラブルがつきもの(注5)である。どれだけ誠実に生きていても、誤解や中傷に曝されることが必ずある。そしてそういうとき、SNSの支持はほとんど役に立たない。匿名の支持者は、トラブルの話題自体すぐに忘れてしまう。あっというまに(注6)集まった人々は、同じくあっというまに離れる。そこで継続的に助けてくれるのは、結局は面倒な人間関係に支えられた家族や友人たちだったりする。
 SNSの人間関係には面倒がない。だからSNSの知人は面倒を背負ってくれない。そんなSNSでも、たしかに人生がうまく行っているときは大きな力になる。けれども、本当の困難を抱えたときは、助けにならないのだ。
 これからの時代を生きるうえで、SNSのこの性格を知っておくことはとても重要なように思う。そもそも、人生の困難なるものは自分と世界のズレの表れである。自分はあることを正しいと信じるが、世界はそう思わない――そういう対立が生じたとき、困難が訪れる。だから困難そのものが悪いわけではない。むしろ、概念の発明や政治の変革は必ず困難とともに生じる。その困難を時間をかけて解消し昇華する(注7)ことで、はじめて自分も相手も社会も進歩するのだ。けれども、いまのSNSにはそのような熟成の余裕がほとんどない。
 困難な時期を支えるとは、言いかえれば、支える相手と世界の関係が変化する過程に時間をかけてつきあうということである。ひとりの人間が変わるというのはたいへんなことで、「いいね!」をつけるようにポンポン複製できるものではない。いわゆる「議論」で相手が変わると考えているひとは、人間の本質について無知である。ぼくが一生をかけて変えることができるのは、ごく少数の身の回りの人々だけであり、そしてぼくを変えることができるのもおそらくは彼らだけだ。その小さく面倒な人間関係をどれだけ濃密に作れるかで、人生の広がりが決まるのだと思う。
 家族も友人もあっというまには作れない。面倒な存在でもある。だからこそそれは変化の受け皿となる。面倒がないところに変化はない。情報技術は、面倒のない人間関係の調達を可能にしたが、それはまた人間から変化の可能性を奪うものでもあった。そのことを忘れずにおきたいと思う。
(注1)SNS:ウェブ上での情報のやり取りや交流の場を提供するサービス
(注2)リアルタイムウェブ:情報更新が即時に行われるウェブ
(注3)コンテンツ:ここでは、情報
(注4)すっとばす: ここでは、省略する
(注5)つきもの:必ず伴うもの
(注6)あっというまに:短い間に
(注7)昇華する:ここでは、別の良いものに変える

(62)SNSの支持はほとんど役に立たないとあるが、なぜか。

(63)困難な時期について、筆者はどのように述べているか

(64)筆者が言いたいことは何か。

情報検索

(65)チョウさんは、机1台を買い取ってもらいたいと思っている。机は、重さが12kgで、三辺の合計が220cmである。チョウさんが利用できる方法はどれか。

(66)森村さんは、ギター(重さ5kg、三辺の合計150cm)と自転車(重さ10kg、三辺の合計160cm)をまとめて買い取ってもらいたいと思っているが、店頭に自分で持っていかずに済む方法がいい。森村さんが利用できる方法はどれで、何を準備しなければならないか。