短文
(1)
 「できる人のモノサシ」は、ごく一部であるエリートにしか通用しません。でも大多数に属している平凡な自分がも つ「ふつうのモノサシ」は、世の中の多くの人に通用するモノサシです。その「ふつうのモノサシ」からこそ、多くの 人に共感されるヒット商品が生み出せると思うのです。
 自分は平凡だとか、つまらない人間だと思っている人にこそ、「売れる発想」がわき、「売れるシナリオ」が組み立てられ、「売れる商品」を作れるのではないか。私はそんなふうに考えています。

(吉川美樹『半径1メートルの「売れるり発想術』による)

(46)「売れる商品」を作れるとあるが、なぜか。

短文
(2)
 グーテンベルクの活版印刷革命から約500年、今世紀、デジタル技術による情報爆発の時代が始まった。だれもが発信者になるインターネット世界で、すでに情報は飽和している。すると、「いかに蓄積された情報を統合的に再利用するか」がキー(注)になる。大量に蓄積された情報の中から重要なものを発掘して新たな創造に結びつけていく技術。それは古代から書物を大量に蓄積し、索引検索によって利用できるようにしてきた図書館の基本システムそのものだ。図書館は、私たちが思っているよりはるかに未来的なものだ。

(朝日新聞グロープ2013年8月18日付による)


(注) キー:ここでは、重要な点

(47)未来的とあるが、どのような点が未来的なのか。

短文
(3)
 職業として芸術家や学者、あるいは創造にかかわるひとびととは生涯コドモとしての部分がその作品をつくる。その部分の水分が蒸発せぬよう心がけねばならないが、このことは生活人のすべてに通じることである。万人にとって感動のある人生を送るためには、自分のなかのコドモを蒸発させてはならない。じつをいうと、この世のたいていの職業は、オトナの部分で成立している。とくに法律や経理のビジネスの分野はそうである。ところが、うれしいことに、そういう職業人のなかに豊潤な鑑賞家や趣味人が多い。

(司馬遼太郎『風塵抄』による)

(48)うれしいことにとあるが、何がうれしいのか。

短文
(4)
 我々は裸の眼でものを見ているように思っているが、実際そうではない。我々は、常識という色眼鏡でものを見ている。そして、常識を作ったのは、過去の偉大な人間であり、その偉大な人間はある学問や芸術を創り出し、そして、新しく世界を見る眼を我々に教えた。その眼が歴史的に我々に伝承され、我々はその眼でもって、ものを見、しかも裸の眼でものを見ていると思っている。しかし、一つの眼である限り、そかは世界を歪んで見ているのである。その眼からはどうしても見えない何かがあるのでる。

(梅原猛『饗宴一梅原猛随想、と対話』による)

(49)この文章で筆者が述べていることは何か。

中文
(1)
私たちは、日々、大量の情報を処理しなければならない現代において、本もまた。「できるだけ速く、たくさん読まなければいけない」という一種の強迫観念にとらわれている(注)。「速読コンプレックス」と言い換えてもいいかもしれない。しかも、楽をしてそれができるのであれば、言うことはない。巷に溢れかえっている速読法を説く本は、①そうした心理に巧みにつけこむ(注)ように書かれている。
もちろん、時と場合によっては、速く読むことも必要だろう。「明日までに大量の資料を読んで書類を作らなければいけない」といった状況下では、速読や斜め読み(注)は避けられないだろう。しかしそれは、単に一時的な情報の処理であり、書かれた内容を十分に理解し、その知識を、自分の財産として身につけるための読書ではない。単に、情報の渦の中に否応なく巻き込まれてしまっているだけで、自分の人生を、今日のこの瞬間までよりも、さらに豊かで、個性的なものにするための読書ではないのである。
読書を楽しむ秘訣は、何よりも、[速読コンプレックス]から解放されることである!本を速く読まなければならない理由は何もない。速く読もうと思えば、速く読めるような内容の薄い本へと自然と手が伸びがちである。その反対に、ゆっくり読むことを心がけていれば、時間をかけるにふさわしい、手応えのある本を好むようになるだろう。

(平野啓一郎『本の読み方スローリーディングの実践』による)


(注1) 強迫観念にとらわれている:ここでは、強い思し、から逃げられない
(注2)~に巧みにつけこむ:ここでは、~をうまく利用する
(注3)斜め読み: ざっと読むこと

(50)①そうした心理とあるが、どのような心理か。

(51) 筆者によると、速読をしなければならないのはどのようなときか。

(52)筆者によると、読書を楽しむにはどうすればよいか。

中文
(2) 
中学生や高校生の頃、歴史の時間が退屈だった。
(中略)
 そんな私が四十歳の頃から歴史に興味を持ち始めた。何かを調べるとその辺りに知識の島ができ、別のことを調べるとまた別の島ができる。そのうちに孤立していたはずの二つの島が橋でつながる。「こういうことだったのか」という①驚きがある。一見関係のなさそうな二つのものが結びつくという意外性は、自然科学における醍醐味の最たるものでもある。歴史を調べれば調べるほど島々がネットワークのように結ばれて行く。人間や情報は地球上を移動するから当然なのだが、ネットワークの構築はなぜか脳にすこぶる心地よい。その上あらゆる現象に人間が絡んでいて余計に面白い。 ②歴史とは地球を舞台とした途方もなく(注1)壮大な演劇なのだ。自分や先祖も舞台の隅で参加している。それに人間の本質は変わらないから、人は似た状況で似たヘマ(注2)を何度も繰返す。だから現在を考えるのに実に役立つ。
 若い頃にこの面白さに気付いていれば、今と違い記憶力もよかったから強大かつ織密なネットワークを完成することができ演劇をもっと深く味わえたのにとも思う。無理だったかもしれない。中年にさしかかって初めてこれまで生きてきた、そしてそう遠くない将来に消える自分の立位置を確かめたくなるからだ。家系を調べたくなったり先祖や自らがどのような時代の流れの中で生を受け生を営んできたかをしりたくなる。無邪気なままこの世から退場したくなるのだ。十代で歴史に興味を持つ者の気持ちは私には不思議だが、中年になって歴史に興味を持たない者の気持ちはそれ以上に不思議だ。

(藤原正彦『週刊新潮』 2010年10月28日号による)


(注1)途方もない : とんでもない。比べるものもない。
(注2)ヘマ : 失敗

(53)①驚きがあるとあるが、なぜ驚いたのか。

(54)筆者が考える②歴史とはどのようなものか。

(55)筆者の気持ちに合っているものはどれか。

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(3)
 人類は、「都市」という空間をつくったときに、それまでの部族的(注1)、あるいは村落的な社会空間とは本質的に異なる社会空間を経験した。村落においては人々は、共に生き、共に死んでいくものとして、互いのこと、そのまた親の世代のこと、祖先のことまで熟知していることを前提とした社会的な関係を形成する。都市の街頭においては、人々は、互いの匿名性を前提として、見ず知らずの他人同士の視線によるコミュニケーションを交わす。都市のなかの市場では相手の人柄や家族のことなどなにも知らないことを前提とした商品の売買や機能的な結びつきを形成する。さらにそれを恒常化した組織も、村落の人と人の関係とは違って人々の分業を最適な状態で実現するための機能的なつながりである。
 都市の社会空間の経験は、人類にとっての社会のイメージを決定的に変えたし、したがって自己のイメージも変えた。人々は、自分を個人という単位として意識する機会が多くなり、財は一族(注2)や集団のものではなく、個人のものと意識され、才能は個々の人間の属性(注3)として考えられるようになった。都市の人間の間にも、うわさが飛び交うよ うな口頭のコミュニケーションは発達したが、都市社会が大型化し、複雑化するにしたがって、それだけでは情報の共有に不安定性が拡大してくる。マスメディアは、誰でもアクセス可能であることを原理とする一方向の公開型メディアである。そのため、都市型のコミュニケーションを補完(注4)し、あるいはそれを強化する機能をになっている。

(成田康昭『メディア空間文化論一いくつもの私との遭遇』による)


(注1) 部族:共通の文化を持つ地域的集団
(注2)一族:血縁関係の集団
(注3) 属性:人やものに備わる国有の性質
(注4)補完する:補う

(56)都市の社会空間の特徴について、筆者はどのように述べているか。

(57)都市の社会空間の経験によって、人々の自己に対する意識はどう変わったか。

(58)都市社会におけるマスメディアについて、筆者はどのようにとらえているか。

長文
(1)
 私は、一人の作曲家として、色々な機会に、自分の作曲について語ってきた。しかしそれは、私自身が、自分の作曲についてよく知っている、ということを意味するわけではない。私の作曲には、言葉で説明できるような組織的な方法論はない。作曲するときの私は、単に、感覚に頼って、直観的に「これが好い」と納得できる音の連なりを探し続ける。 そして、「ここが曲の終わりだ」と感じるところにいたったとき、一つの曲の出来上がりとなる。ただそれだけである。
 「これがよい」あるいは、「ここが曲の終わりだ」という感覚的な判断の根拠は、説明できない。そして、①曲が何であるのかについても、よく分からないのである。
 もっとも、私は、自分の作曲について本当に何も知らないというわけではない。そもそも、どうやって何を作るかということを全く知らずに物を作ることは、不可能である。例えば、もし、ガラスのことも、そして、花瓶というものがどのようなものかも知らなければ、ガラスの花瓶を作ることはできない。同様に、作曲の場合にも、素材である音と、その音の構成の仕方について知らなければ、そしてされに、音楽というものがどのようなものなのかを知らなければ、曲を作ることなどできない。作曲をするからには、作曲者は、当然、それらにについて一応知っている。
(中略)
 作曲は、必ず、何らかの伝統における「基本的な」知識を前提としている。だが、その「基本的な」知識をそのまま(大抵の場合、無意識的に)受け入れて、その範囲で作曲する「保守的な」作曲家達がいる一方で、前衛主義に代表されるような、新たな音楽の可能性を求める作曲家達は、自らが出発点とした伝統における「基本的な」知識の外に踏み出そうとする。そして、この伝統からの踏み出し一あるいは、「逸脱」と言うべきかもしれない一は、常に、実験的な性質を帯びる。つまり、非伝統的な素材を用いることによって、あるいは、非伝統的な音構成法を試みることによって、伝統に由来する「基本的な」知識が告げる音楽というもののイメージから逸脱した未知のものが産み出される可能性があり、そして、この未知なるものを相変わらず「音楽」と呼ぶとしても、それがどのような意義と価値をもつ音楽なのかは、分らないのである。その意義と価値を判断するためには、そこに生まれてきた音楽そのものを吟味してみるほかはない。
 私が、自分自身の作曲について語り得ることは、まさにこのこと、つまり、自らが行った実験的な試みの結果として産み出された音楽についての吟味であり、言い換えれば、自分が行ったこととその結果についての自分自身による解釈なのである。

(近藤譲「音楽という謎」による)



(59)①そのようにして作ったとあるが、どのように作ったのか。

(60)筆者は、ガラスの花瓶の例を挙げて何を言おうとしているのか。

(61)新たな音楽の可能性を求める作曲家達の音楽とは、どのようなものか。

(62)筆者によると、自分自身の作曲について語れることはどのようなことか。

統合理解
A
 子どもの昆虫採集について、生命尊重や希少種保護の観点からの批判的な意見が聞かれる。これに対しては、子どもが採集する数など微々たるものなのだから、自然と触れ合うことのメリットを重視すべきだという反論もある。
 確かに幼少期の自然体験は自然観の形成に必要ではあるが、実際に子どもの昆虫採集の様子を見ると、子どもが魅力を感じているのは捕獲の瞬間だけだ。子どもの興味に任せるだけではただの遊びにしかならない。そのため、昆虫採集をより有意義な体験にするには、大人からの働きかけが必要だ。昆虫の体や生態を見て知る姿勢を教え、子どもが種の多様性に気づくようにすることが大切だ。

B
 虫取りに夢中になって時間を忘れてしまう子や自分のつかまえたバッタ(注)に見入ってしまう子は、もうその活動の中にその子どものよさや可能性が秘められている。「どこがおもしろいの」と訊ねれば、彼らは根拠を持って今自分が価値を持って見つめているものについて答えてくれるだろう。彼らの学びは、もうすでに始まっているのだ。
 学びを通して、自然に対し自分なりの意味を構築していく中で「年命観」も「自然観」も進化していく。
 それに伴って、「生命愛護」「自然環境との共存」という心情も深化していくものだろう。 (中略)そのように考えるとき、自然に対して自分なりの意味を見いだせるかということ、実感を伴った理解が行われるかということを抜きにして、「生命愛護」も 「自然環境との共生」も語ることはできないだろう。

(角屋重樹森本信也編著『小学校理科教育はこう変わる一ニューサイエンスを求めて』による)


(注)バッタ:昆虫の一種

(63)子どもが昆虫をつかまえることについて、AとBはどのように考えているか。

(64)AとBの認識で共通していることは何か。

漢字読み

1。 決勝の素晴らしい試合に観客は興奮した。

2。 この説は、鈴木氏が30年前に初めて唱えた

3。 この地域における主要な産業の変遷について調べた。

4。 佐藤さんの日々の努力は尊敬に値する

5。 応募は随時受け付けています。

6。 優勝を目指してこれからも練習に励んでいきます。

文脈規定

1。 何度も交渉した末に、ようやく両社は (  )して、契約が成立した。

2。 鈴木選手の活躍は、テレビや新聞など、様々な(  )で紹介された。

3。 来週の研修会への参加は、(  )はしませんので、希望者のみ申し込んでください。

4。 高橋さんは明るくて(  )だから、そんな細かいことは気にしないと思うよ。

5。 この歌は、子どもからお年寄りまで(  )年齢層に親しまれている。

6。 この小説の主人公は、非常に感情の(  )が激しい人物だと思う。

7。 森さんは、その話を聞いた時は動揺していたが、次第にいつもの冷静さを(  )。