短文
(1)
 大人になっても、味覚は変わり続ける。二十代の血気盛んな頃、すき焼き鍋などを囲むと、肉ばかり食べている私を見て、「私たちはもう沢山。年をとると、キノコや野菜が一番おいしい」などと半ば私を、半ば自分自身を論すかのように言う年長者がいた。なるほど、私も、最近では肉の味のしみた野菜やキノコがおいしい。一方で、肉も相変わらず食べる。年長者だって、肉を食べなくなるわけではない。

(茂本総一郎『食のクオリア』による)

(46)食べることに関して筆者はどのように感じているか。

短文
(2)
 相手を思いやる気持ち、これも、「あいさつ」の心にちがいありません。
 先年、アフリカへ行ったとき、タンザニアで聞いたことですが、現地の人たちが道で知人とあいさつを交わすとき、おたがいに家族の安否をたずねますが、たとえ自分の家族に病人がいても、それをロに出さないのが暗黙のルールになっているのだそうです。相手の気持ちに負担をかけまいとする心からです。

(川崎洋『ことばのカ』による)

(47)暗黙のルールになっているのはどんなことか。

短文
(3) 毎年、花の種を蒔いたり、球根を植えたりする季節が近づくと、種苗を扱う農園から、色刷りのカタログが送られてくる。私には植物を実際に取り寄せて植える土地などはないから、それを眺めて空想庭園を楽しむのである。しかし、それらの誇らしげに咲いている花の見合い写真を次々に見ていくと、連中(注1)が一様にある傾向を有していることに嫌でも気がつく。つまり、すべての花を「品種改良」によって、より大輸(注2)にし、そして何でもかでも八重咲(注3)に造りかえてしまおうという、人間の趣味と努カと一種の意地がそこに反映しているのである。

(奥本大三郎『虫の字宙誌」による)


(注1) 連中:ここでは、花のこと
(注2) 大輸:花の大きさが普通よりも大きいこと
(注3) 八重咲:花ぴらが数多く重なっていること

(48)そこは何を指しているか。

短文

(49)人間について、この文章からわかることは何か。

中文
(1) 
 定年に備えた企業の研修資料に(「自分」-「仕事」=?) とあるのを見て、会社一筋に働いてきた人には厳しい設問だなあ、と思ったことがある。
 事実、会社人間だった大阪の友人はこの設問に「ゼロや」と苦笑して、定年後の近況を話す。
 「女房が出掛けようとすると、ワシワシも行くと言うもんやから、すっかり嫌がられてるよ」
 こういう定年亭主を「恐怖のウシも族」というのだそうだが、今やさぞかし①「ワシも族」がはびこっていることだろうと思いきや、ニッセイ基礎研究所の「定年前、定年後」という本にこんな調査結果が収められていた。
 数字は省くが、仕事に生きがいを持っていた人のほうが、そうでない人より定年後の社会活動にもずっと生きがいを感じているという内容で、要するに、会社人間ほど定年後も意欲的という分析だ。
 彼らの社会活動の生きがいは、交友関係の広がりによって生まれているようで、植木職人になったり、NPO やボランティア、地域活動に携わっている元銀行員をはじめ、多種多様なケースがいろいろ紹介されている。
 以前、あれは有力銀行の支店長であったか、定年退職した途端、年賀状も激減するなど一変した状況に喪失感を覚え、自ら命を絶ったという話を聞いたことがある。
 これなどは極端なケースだとしても、生きものは危機と遭遇しそれを乗り切ることで進化してきました。人間社会も同じく「会社」のために頑張る価値観は、「社会」のために頑張る価値観と合致するかもしれないと分析される先の調査結果などは、会社人間の「その後」に②新しい視点をもたらすものだろう。

(近藤勝重 「しあわせのトンボ:会社人間の『その後』2)007年 1月14日付毎日新聞ダ刊による)


(注) ワシ:わたし

(50)筆者の友人が、(「自分」-「仕事」=?)という設問に「ゼロや」と答えたそうだが、それはどのような意味か。

(51)①「ワシも族」とは、どのようなことか

(52)②新しい視点をもたらすとは、どのようなことか

中文
(2)
 技術者にとってレース車を開発するというのは、非常に魅力があるようなのだ。
 それはそうだるう。市販車の開発であれば、コストのことや工場のことを考えなければいけないので、自分の考え出した創意工夫を必ずしも反映できるわけではない。いいモデルを出したからといって、営業の力が弱ければ売れるとは限らない(少なくとも、多くの開発技術者はそう思って歯軋りをしている(注1)に違いない)。しかし、レース車であれば、ある程度、採算無視で色んなことにトライできる。何よりも、営業力とか他の要素に邪魔されることなく、①どんな大メーカーを相手にも対等に優劣を争うことができるわけだ。
 逆にいうと、言い訳のない世界でもある。敵よりコンマ1秒でも送れとれば負けるのだ。そして、それは、はっきりとその場で日に見える。
(中略)
 目標設定も単純だ。市販車開発なら、時にはアメリカと欧州の両市場で売れる車を作ってくれと営業から要求されたりする。そこでは 技術的に妥協せざるを得ないが、レースは絶対的な速さだけを日指せばいいのだ。その代わり、自分の実力が今どうであれ、敵の車が75秒でサーキット(注2)を1周していれば、それより速いタイムで走る車をつくらないと意味(注2) がないのだ。②出来る、出来ないを論じる余地は全くない。また、お分かりのように、地チームの車の真似だけをしていれば、決して「最速」にはならないのも真実なのだ。

(田中リー『ホンダの価値観一原点から守り続ける 0八』)


(注1) 歯軋りをする:ここでは、悔しく思う
(注2) サーキット:レース用のコース。

(53)①どんな大メーカーを相手にも対等に優劣を争うことができるとあるが、なぜか

(54)②出来る、出来ないとあるが、何が出来る、出来ないのか。

(55)この文章によると、レース車の開発は、技術者にとってなぜ魅力的なのか。

中文
(3)
 わが国の文章の書き手として、想像. 想像するという言語をもっともよく使ったのは、おそらく柳田国男であろう。民衆に伝えられる生活の慣習、用具などに残る手がかりをつうじて、なつかしい古層 (注1)へとたどる民俗学の、わが国での開拓者として、柳田にはこの言葉がきわめてたいせつなものであった。
 柳田は、それと空想、空想するという言語とを区別しようとした。その文章の執筆の時期や、あつかう対象、また語りかける相手のちがいにつれて、柳田の行った空想.空想すると、想像・想像するの区別には、いかにもはっきりしている際と、そうでない場合がある。しかし後の場合も、空想・空想することをしだいに正確にしてゆけば、想像・想像するにいたるという、段階的なつながりにおいてーあい接し(注2)、境界がぼやけていることはあるにしても、その上辺と下辺では、ちがいがはっきりしている、という仕方で一使われている。
 具体的な根拠のない、あるいはあってもあいまいなものにたって行なう古層への心の動きを、空想 '空想するとし、よりはっきりした根拠にたつ、しっかりした心の動きを、想像-想像するとして、柳田は使いわけているのである。そこで時には、ややとか、あきもかにとかいう限定辞をかぶせねばならぬのではあるが、空想。空想するには、人間の心の働きとして、マイナス“消極的評価のしるしがついており、想像、想像するは、プラス 積極的評価のしるしがついている。

(大江健三郎『新しい文学のために』による)


(注1) 古層:ここでは、古い時代
(注2)あい接し: お互いに接し

(56)柳田が使う「空想|空想する」と「想像.想像する」にはどのような関係があると筆者は考えているか。

(57)柳田が「空想 空想する」という言案を使うのはどのようなときだと筆者は考えているか。

(58)柳田が「想後想後する」という言葉を使うのはどのようなときだと筆者は考えているか

長文
 理系の文章は明確な目的を持っている場合が多いので、その目的に応じて読者は文章を読む。このため、目的に合致した文章は満足感を読者に与える。たとえば、「東京都の交通渋滞に関する調査報告書」はそれを知りたい人が読み、その内容が過不足なく記述されていれば100点の評価となる。調査内容が不十分であれば評価は下がり、満足感は少なくなる。
 しかし、もし著者と読者のあいだで、その文章を媒体として記述されていること以上の事柄が発見できれば、読者にとって最高の満足感となる。言い換えると、読者が新しい知能を発見する喜びを支援する、あるいはそのきっかけとなる文章こそが、100点以上の評価となる。それは著者と読者の①シナジー効果(二つのものから、それらの合計以上のものが生み出される効果)であり、それをもたらすには、著者は常に読者を意識し、読者とともに問題の解決にあたるという姿勢を持つことで文章に磨きがかかる。
 いくら仕事や理系の文章だからといって「AはBだ、覚えておけ』という姿勢の文章では読者の満足感は少ない。むしろ、読者は自分の無知を知り、自己嫌悪に陥り、一方、著者への親近感はなくなり、読む気がしなくなる。 文章の目的を達成するために大事なことは、読者が最後まで読んでくれることである。いくら素晴らしい内容が書かれていても、読者が読む気のしない文章は目的を果たすことができない。
 学生のレポートで、②それが一番よくわかる。なにしろ提出数が多いので、すべてを完全に理解しようとして読むことは不可能である。結局、最初の数行を説んで、あるいは全体を見渡して、読む気が起こるかどうかが評価に大いに影響する。これは、上司に提出する企画書や、コンペ(注1)に応募する提案書などでもまったく同じである。
その意味で、人の読む気を誘う文章であるかどうかは重要である。では、読む気とは何か。それこそがシナジー効果である。
(中略)
 読者が自力で新しいことを発見することの支援はなかなか難しい。むしろ、自分の思考過程を深く分析し、読者と一緒に考えようという姿勢を持つことが最も重要である。読者に与える完全な解答はなくても、解答に向かうひたむきな姿勢を示すことができれば良いのだということである。言い換えれば、ごまかしがなく、技巧を弄ばず(注2)、大げさにいえば著者の人生観を示すことで、真実に迫ろうという書き手の気持ちが読者に通じるのである。仕事の文学や理系の文章は、一般にはこういう行間の意味は不要と考えられているが、それでは無味乾燥の(注3)教科書文章となり、人の心に届かない。いくら人の③脳に届いても、心に届かないものは読む気がしなくなり、結局、読者の脳にも届かなくなる。
(注1) コンぺ:ここでは、仕事の依頼先を選ぶために企画を競争させるもの
(注2) 弄ぶ:ここでは、必要でないのにむやみに使う
(注3) 無味乾燥の:味わいがなくてつまらない。

(59)①シナジー効果とあるが、読者にとってのシナジー効果とはどのようなものか

(60)②それが一番よくわかるとあるが、何が一番よくわかるのか。

(61)③脳に届いても、心に届かないとはどういうことか。

(62)理系の文章の書き手はどのような姿勢を持つべきだと筆者は述べているか。

統合理解
A
 生態系保全(注1)では、そこに生息(注2)する生物のことを考慮するが、生態系を構成するすべての生物を等しく扱うことはできない。なぜなら、一部の生物を守ろうとすると、必ず不利益を被る生物が生じるからである。すなわち、われわれ人間が何をしても、それによって利益を得る生物と不利益を受けるものが生じることになる。そうなると、性能系を保全する目的で、何らかの活動をするということは、一部の生物種に利益を与えるということになる。 (中略)
 唯一われわれが言えることはわれわれが人類であるから、「地球生態系は人類が健全に生きていくためにある」ということである。すなわち、「生態系は人類のため」なのである。言い換えれば、人数に利益を与えてくれる生態系を保全すべきなのである。

(花里孝幸『自然はそんなにヤワじやない一誤解だらけの生リ系」による)



B
 保全生物学の核となる概念である生物多様性は種の存続によって維持される。したがって、保全生物学(注3)では、希少種や減少過程にある固体群の保全に関する知識と方法が一つの重要な課題である。(中 略)
 しかし、個別の種をそれぞれ保護することは非常に困難である。一つの生態系をとっても、徴生物から植物、昆虫、哺乳動物など多くの種が生存しているが、それらの全ての生態を把握して保護することは不可能に近い。さらに、未分類の種や種レベル以下の遺伝的多様性は、個別の種を保護する方法では逆に保護されなくなってしまう恐れがある。そこで、多様な生物の相互関係を含む自然をそのまま保全することが重要になってくる。つまり、生態系を保全することで、そこに含まれる全ての生物を保護するという考えている。
(注1)保全:ここでは、守ること。
(注2): 生息する: 生きる
(注3): 保全生物学:生態学の研究分野のひとつ

(63)生部系を構成する生物の保護について、AとBの文章で共通して述べられていることは何ですか。

(64)保護すべき対象についてAとBはどのように考えているか。

漢字読み

1。 従来のを超えて新しい分野に進出する企業が増えている。

2。 この情報誌は国内の主な観光名所をほぼ網羅している

3。 このような賞を受けることは、私にとって大変名誉なことです

4。 新商品の開発には多額の資金を費やした

5。 あそこに見えるのは、千年前に建てられた由緒あるお寺です。

6。 若いスタッフたちが手際よく作業を進めていた。

文脈規定

1。 会議の直前に部長の都合が悪くなり、(  )私が代理で出席することになった。

2。 あの人は「申請書は締め切りまでに絶対に提出した」と、まだ(  )いる

3。 このままでは交渉がまとまらないので、互いに(  )せざるをえない。

4。 この論文が今後の医学の発展に(  )するところは大きいだろう。

5。 今年の花火大会は、30万人を超える(  )が予想されている。

6。 仕事の分担を決める前に、必要な作業をすべて(  )した。

7。 朝から頭痛がひどかったが、薬を飲んだら、だいぶ痛みが(  )きた。